フランス軍艦としての経歴とは? わかりやすく解説

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フランス軍艦としての経歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/30 02:47 UTC 版)

サンス・パレイル (戦列艦)」の記事における「フランス軍艦としての経歴」の解説

サン・パレイユはグロワニャール設計トナン級戦列艦の1隻としてブレスト建造された。進水1793年6月8日だったが、フランス海軍所属した期間は1年にも満たなかった。少将ジョセフ=マリー・ニエリの戦隊旗艦として、クーラン艦長指揮下、1794年5月大西洋航海参加したニエリ戦隊北アメリカからトウモロコシ運んでくるピエール・ジャン・ヴァン・スタベル率い輸送船団会合することになっていたが、それより先、1794年5月9日イギリス船団遭遇した。その船団はサー・トーマス・トラウブリッジ艦長指揮する軍艦キャスターHMS Castor)に護衛されていた。戦隊キャスター攻撃して多く輸送船とともに捕獲したが、キャスターほどなく5月29日イギリス軍艦キャリスフォート(HMS Carysfort)によって奪還された。 戦隊復路輸送船団合流しフランスへ航海開始したその間、ルイ・トマス・ヴィラレー・ド・ジョワイユーズ提督指揮下のフランス艦隊ハウ伯爵リチャード・ハウ指揮イギリス艦隊迎撃され、5月28日29日散発的な戦闘繰り返していた。ニエリ輸送船団フリゲート部隊護送させることとし、サン・パレイユを含む配下大型艦数隻をヴィラレーの応援差し向けた。ヴィラレー艦隊は「栄光の6月1日」にイギリス艦隊大規模な海戦行ったが、そのときサン・パレイユは後衛戦隊属していた。海戦では、フランス戦列を突破しようとしたイギリス軍艦ロイヤル・ジョージ(ブリッドポート男爵アレグザンダー・フッド中将旗艦)と交戦し、その舷側砲火で前部後部マスト打ち倒された。イギリス軍グローリー艦尾から縦射し、メインマスト粉砕した損傷を受け、操縦不能となったサン・パレイユは戦列から外れイギリス軍マジェスティック捕獲された。艦内捕らえられていたトラウブリッジを含むキャスター50名の将兵解放され、サン・パレイユのスピットヘッドへの回航助けた。サン・パレイユは乗組員の約260名を喪い、負傷者は約120であった

※この「フランス軍艦としての経歴」の解説は、「サンス・パレイル (戦列艦)」の解説の一部です。
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