後衛戦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)
イギリスの後衛戦隊のうち、フランス陣を突破するために確固たる努力をしたのはわずか2隻だった。フッド提督の旗艦ロイヤル・ジョージはフランス艦レプブリカン(英語版)とサン・パレイユ(英語版)の間を突破して両艦と接近戦を行い、またグローリーはサン・パレイユの後方で戦列を横切って、やはり乱闘に突入した。これら2隻以外の両艦隊の後衛はこの近接戦に参加しなかった。イギリス艦モンタギューは、著戦において艦長ジェームズ・モンタギュー(英語版)を失っており、指揮官は海尉ロス・ドネリー(英語版)にゆだねられていて、フランス艦ネプテューヌと遠距離砲戦を行った。しかし、どちらにもさしたる損害は発生しなかった。次の戦列に位置するラミリーズは完全に敵を無視しており、艦長ヘンリー・ハーヴェイは、兄弟ジョンが艦長を務めるブランズウィック(クイーン・シャーロットの傍で混戦に加わっていた)を探して西に移動した。 その他3隻のイギリス艦はいずれもハウの信号に応えられずにいた。アルフレッドはフランス戦列と交戦したが、あまりに距離が離れており効果を上げられなかった。マジェスティックのチャールズ・コットン(英語版)艦長も同様に、決着がつくまでほとんど何もせず、その位置で、すでに撃破された数隻のフランス艦の降伏を受け入れただけだった。アルベマール・バーティ(英語版)艦長のサンダラーは結局、初期の戦闘に全く参加しなかった。サンダラーはイギリス艦隊からかなり離れた位置におり、敵との接近戦を命じる信号がメインマストからだらりと下がっていたにもかかわらず、敵との交戦の機会を逸してしまった。フランス艦隊の後衛部隊はまぎれもなく仕事をしておらず、アントレプレナン(英語版)もペルティエも、射程内のイギリス艦に砲撃を仕掛けてはいたが、いずれの艦隊の近接戦闘や乱戦に加わることもしなかった。フランス艦隊戦列最後尾のシピオン(英語版)もまた戦闘に加わろうとしなかったが、ロイヤル・ジョージとレプブリカンの周囲の戦闘に巻き込まれるのを避けられず、大きな損害を被った。
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