後蜀とは? わかりやすく解説

こう‐しょく【後蜀】

読み方:こうしょく

[一]中国五代十国の一。934年孟知祥(もうちしょう)が四川建国首都成都965年、宋に滅ぼされた。蜀。ごしょく

[二]中国五胡(ごこ)十六国の一。成漢別称


ご‐しょく【後蜀】

読み方:ごしょく

こうしょく(後蜀)


後蜀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 17:57 UTC 版)

後蜀(こうしょく)は、中国の王朝名。現在の四川省に成立した。




「後蜀」の続きの解説一覧

後蜀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:16 UTC 版)

大宋伝奇之趙匡胤」の記事における「後蜀」の解説

孟昶(後蜀後主)(演:劉亜津(中国語版)、※友情出演) 後蜀の皇帝淫乱奢侈に耽り政務怠け遊び現を抜かし、国を甚だ乱した暗君花蕊夫人(徐蕊)溺愛し豪勢な花蕊宮を新築するほどの有様だった。 宋が後蜀に帰順要請した際、これを達観して拒否。宋が後蜀を攻めようとすると、北漢南唐(江南国)に救援要請行い、宋を挟撃しようと図ったが、失敗に終わる。 後蜀が宋軍によって攻め滅ぼされた後、宋朝投降汴京連行された後、趙匡胤によって死罪免じられ、秦国公に封じられ、さらに中書令検校太師任じられた。加えて汴京豪華な邸宅賜り貴族待遇安穏とした暮らし許された。だが、「花蕊夫人後宮送り込みたい」と目論んだ趙光義に、その存在邪魔者と見なされ、最後趙光義によって毒殺された。 徐(花蕊夫人)(演:殷中国語版)) 後蜀皇帝孟昶寵妃成都名望高い大儒学者徐銘娘。南唐大臣徐鉉の姪。趙匡胤皇后王月虹の生き写しであり、その容姿極めて酷似している(※作中では、主演の殷王月虹と徐二役演じている)。作中での描写拠れば西暦947年生まれで、趙匡胤より20歳年下絶世の美女で、舞踊琵琶演奏詩作などの才に優れる。夫・孟昶から異常なほどに強く寵愛されている。後蜀にいた頃の住まい花蕊宮。孟昶には2年仕えた。夫・孟昶荒淫無道ぶりを嫌っていたが、自分寵愛してくれることには強く感謝しており、孟昶との夫婦情愛は非常に深かった見識学識ともに深く国政にも関心が厚い。さらに、祖国「後蜀」への強い愛国心併せ持っている。 宋が後蜀を攻めようとした際は、自身叔父南唐(江南国)の翰林学士承旨でもある徐鉉密書送り救援要請行った。 後蜀の滅亡後、夫・孟昶と共に宋に降伏し汴京連行される。孟昶趙光義毒殺された後、後宮移り住み金城夫人(女官)に封じられ、福寧宮にて起居し、蜀国の史籍修訂した。加えて趙匡胤良くない行い直接諫める権限与えられた。なお、あくまで亡夫孟昶への貞節貫き趙匡胤嬪妃にはならなかった。 作中での言及拠れば、もとは天真爛漫な性格だったが、後蜀滅亡後風変わり物静かな性格変貌してしまったとのこと当初は、「孟昶毒殺真犯人趙匡胤である」と強く疑っていたが、趙匡胤長く接していくにつれ、その優れた人となり認め疑い解けた趙匡胤のことを名君として高く評価し、その仁徳にも深く敬慕している。当初後宮にあって趙匡胤とは疎遠だったが、やがて趙匡胤と心が通じ合い段々と趙匡胤惹かれ愛情芽生えていくようになる。そして趙匡胤とは一種プラトニックな関係になった最後趙匡胤好意真心心を許し勤政殿一夜を共にして男女交わり結んだ。その翌日手下調べで「孟昶小蝶毒殺したのが趙光義である」との確かな情報得て趙匡胤に対して、「宋の天下のために、凶悪残忍な野心家趙光義誅殺してください」と強く請うたが、趙匡胤にこの諫言受け入れられず、最後絶望し自害し果てた

※この「後蜀」の解説は、「大宋伝奇之趙匡胤」の解説の一部です。
「後蜀」を含む「大宋伝奇之趙匡胤」の記事については、「大宋伝奇之趙匡胤」の概要を参照ください。

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