汴京とは? わかりやすく解説

開封府

(汴京 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/10 00:21 UTC 版)

河南省の開封府の位置(1820年)

開封府(かいほうふ)は、中国にかつて存在した五代十国時代から中華民国の初年にかけて、現在の河南省開封市一帯に設置された。

概要

907年開平元年)、朱全忠後梁により汴州が「開封府」に昇格し、後梁東都とされた[1]。はじめ開封府は開封浚儀陳留雍丘封丘尉氏の6県を管轄した。鄭州中牟陽武滑州酸棗長垣許州扶溝鄢陵宋州襄邑曹州戴邑陳州太康の9県が開封府に編入された[2]

923年同光元年)、後唐が後梁を滅ぼすと、開封府は「汴州」に降格し、宣武軍節度使の管轄にもどされた[3]

938年天福3年)、後晋により「汴州」は東京に昇格し、「開封府」が置かれた[4]

北宋のとき、開封府は、「東京開封府」となった。東京開封府は京畿路に属し、開封・祥符・陳留・雍丘・封丘・尉氏・中牟・陽武・延津・長垣・東明・扶溝・鄢陵・考城・太康・咸平の16県を管轄した[5]

のとき、開封府は南京路に属し、開封・祥符・陽武・通許・太康・中牟・・鄢陵・尉氏・扶溝・陳留・延津・洧川・長垣・封丘の15県と延嘉・陳橋・八角・郭橋・崔橋・圃田・陽武・万勝・白沙・圉城・馬欄橋・朱家曲・宋楼・建雄・義店管轄した[6]

1214年貞祐2年)、モンゴル帝国の圧迫を受けて、金は「南京開封府」に遷都した(貞祐の南遷)[7]

1288年至元25年)、により南京路が「汴梁路」に改称された。汴梁路は河南江北等処行中書省に属し、録事司と開封・祥符・中牟・原武・鄢陵・滎沢・封丘・扶溝・陽武・杞・延津・蘭陽・通許・尉氏・太康・洧川・陳留の17県と鄭州に属する管城滎陽汜水河陰の4県と許州に属する長社長葛郾城襄城臨潁の5県と陳州に属する宛丘商水西華南頓項城の5県と鈞州に属する陽翟新鄭の3県と睢州に属する襄邑・考城・儀封柘城の4県の合わせて1司17県5州州領21県を管轄した[8]

1368年洪武元年)、により汴梁路は「開封府」と改められた。開封府は河南省に属し、祥符・陳留・杞・通許・太康・尉氏・洧川・鄢陵・扶溝・中牟・陽武・原武・封丘・延津・蘭陽・儀封・新鄭の17県と陳州に属する商水・西華・項城沈丘の4県と許州に属する・臨潁・襄城・郾城・長葛の4県と禹州に属する密県と鄭州に属する滎陽・滎沢・河陰・汜水の4県の合わせて4州30県を管轄した[9]

のとき、開封府は河南省に属し、祥符・陳留・杞・通許・尉氏・洧川・鄢陵・中牟・蘭封・新鄭・密・禹州の1州11県を管轄した[10]

1913年中華民国により開封府は廃止された。

脚注

  1. ^ 旧五代史』梁書太祖紀三
  2. ^ 『旧五代史』郡県志
  3. ^ 『旧五代史』唐書荘宗紀四
  4. ^ 『旧五代史』晋書高祖紀
  5. ^ 宋史』地理志一
  6. ^ 金史』地理志中
  7. ^ 『金史』宣宗紀上
  8. ^ 元史』地理志二
  9. ^ 明史』地理志三
  10. ^ 清史稿』地理志九

関連項目


汴京

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漕運」の記事における「汴京」の解説

五代王朝及び北宋が汴河と大運河接点に近い汴京(開封)に首都置いた理由は、この教訓学んで食糧租税搬入便に優れた地点求めたことにあった北宋に入ると、転運使中央省庁1つである「転運司」に格上げされとともに首都への物資搬入加えて、北の遼との国境、西の西夏との国境に近い最前線への物資搬入役目を担うようになった漕運実施安全確保当時北宋軍隊重要な役割1つとされ、更に船の渋滞避けるために水運並行して河川運河要所から汴京に陸路輸送する汴綱と呼ばれる綱運の一種が行われた。軍隊はそのために動員され人夫たちも指揮し時期によっては直接投入された。 汴京には、規定により国初年間400万石真宗期に600万石輸送が行われることになっていたが、最盛期には800万石まで輸送が行われた。だが、冬になると汴京の水位下がって漕運が困難となること、役人不正などによって漕運円滑妨げられることがあった。このため商人空船利用した塩などの輸送などの副業認めて漕運への参加募り1102年には蔡京がこれを進めて商人船舶利用した直達法の導入行った。だが、新法・旧法の争い巻き込まれる形で改革失敗終わっている。 靖康の変によって中国は再び金と南宋分断された。南宋では新法否定的に扱われた中で直達法への移行例外的に推進された。だが、国土分断によって漕運は再び衰退することとなった

※この「汴京」の解説は、「漕運」の解説の一部です。
「汴京」を含む「漕運」の記事については、「漕運」の概要を参照ください。

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