陝西省の延安府の位置(1820年)
延安府 (えんあんふ)は、中国 にかつて存在した府 。宋代 から民国 初年にかけて、現在の陝西省 延安市 一帯に設置された。
概要
1089年 (元祐 4年)、北宋 により延州 が延安府に昇格した。延安府は永興軍路に属し、膚施 ・延川 ・延長 ・門山 ・臨真 ・甘泉 ・敷政 の7県を管轄した[1] 。
金 のとき、延安府は鄜延路に属し、膚施・延川・延長・門山・臨真・甘泉・敷政の7県と永平・万安・徳安・招安・永安の5寨と安定・安寨の2堡と楽盤鎮を管轄した[2] 。
元 により延安府は延安路 と改められた。延安路は陝西等処行中書省 に属し、直属の膚施・安塞 ・甘泉・安定 ・保安 ・宜川 ・延川・延長の8県と鄜州 に属する洛川 ・中部 ・宜君 の3県と綏徳州に属する青澗 ・米脂 の2県と葭州 に属する呉堡 ・神木 ・府谷 の3県、合わせて8県3州州領8県を管轄した[3] 。
1369年 (洪武 2年)、明 により延安路は延安府と改められた。延安府は陝西省に属し、直属の膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・青澗の9県と鄜州に属する洛川・中部・宜君の3県と綏徳州に属する米脂県と葭州に属する呉堡・神木・府谷の3県、合わせて3州16県を管轄した[4] 。
清 のとき、延安府は陝西省に属し、膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・定辺 ・靖辺 の10県を管轄した[5] 。
1913年 、中華民国 により延安府は廃止された。
脚注
^ 『宋史 』地理志三
^ 『金史 』地理志下
^ 『元史 』地理志三
^ 『明史 』地理志三
^ 『清史稿 』地理志十
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