中堅艦隊指揮官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/12 02:10 UTC 版)
「ジョージ・ルーク」の記事における「中堅艦隊指揮官として」の解説
1690年には艦隊の第三席司令官(Rear Admiral、後の少将相当)になり、40歳で将官の仲間入りを果たした。大同盟戦争ではさっそく部隊の指揮を執り、ビーチー・ヘッドの海戦(英語版)に指揮官の一人として参加した。1692年には、エドワード・ラッセルを総司令官とする英蘭連合艦隊に従軍し、後衛戦隊の次席司令官としてバルフルール岬とラ・オーグの海戦を戦った。この海戦でルークは、5月23日から24日にかけてフランス戦列艦12隻を焼き討ちする大きな戦果を上げた。 1693年6月には、イギリス主力艦隊の戦隊指揮官の一人として、スミルナに向かう護送船団の護衛を行った。艦隊主力が途中で護衛を打ち切った後はルークが船団の指揮を引き継ぎ、戦列艦11隻を中心としたルークの戦隊だけが護衛中、フランスのトゥールヴィル伯率いる戦列艦80隻以上が襲いかかった。このラゴスの海戦(英語版)で約400隻の商船は四散、そのおよそ1/4が拿捕や撃沈されてしまった。もっとも、この敗戦の責任はルークに負わせるべきではなく、情報戦態勢に不備があった政府や海軍上層部が負うべきだとの見方もある。
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