中堅手、二塁手復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:16 UTC 版)
「クレイグ・ビジオ」の記事における「中堅手、二塁手復帰」の解説
2003年にジェフ・ケント二塁手が加入したため球団から「外野の中堅に回ってもらえないか」と打診され、ビジオは同意し中堅手へ転向。同年8月10日に通算31本目の先頭打者本塁打を放ち、リーグ新記録となった。 2005年にケントのFA移籍やウィリー・タベラスの成長に伴い、二塁手に復帰。自己最多の26本塁打を記録。そして、6月29日にドン・ベイラーが保持していた1900年以降の通算死球記録(267)を更新。また、主砲ジェフ・バグウェルとランス・バークマンが故障で戦線離脱中は、約3年ぶりとなる3番を勤めた。チームはこの年初めてワールドシリーズへ進出。ビジオのワールドシリーズ出場までに要した試合数は2564試合で、史上最多となった。同年オフに1年400万ドルで契約延長。 2006年も21本塁打を記録したものの、打率.246はデビュー年以来の低水準となった。
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