フランス近代競馬の興り
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「パリ大賞典」の記事における「フランス近代競馬の興り」の解説
フランスで近代的な競馬が始まったのは19世紀の初頭である。フランス革命後の1804年に即位したナポレオン1世は、ブルボン朝時代から王侯貴族の余興として散発的に行われてきた競馬を、軍馬育成の手段として国策に適うように体系づけた。 このとき、パリにはシャン・ド・マルス競馬場が開かれ(シャン・ド・マルスには後年、エッフェル塔が築かれた。)、フランス中の名馬を集めて開催される「グランプリ(Grand Prix)」が創設された。これらの競馬の主目的はフランス産馬の資質向上にあったが、反面、娯楽性には乏しいものであり、創設の意図はほとんど果たされないまま、ナポレオンはワーテルローでイギリスに敗れて失脚し、競馬は一時中断した。ルイ18世の王政復古によって1819年には再び競馬が開催されるようになった。ナポレオン時代からの行政の馬産・競馬統制は続いたが、巨額の資金を投じた上に失敗に終わった。 1830年の七月革命によって即位したルイ・フィリップ王も競馬を愛した。フィリップ王のもとで、イギリス出自のヘンリー・シーモア=コンウェイ卿はフランス馬種改良奨励協会(Société d'Encouragement)とジョッキークラブを組織した。この2団体は全く同じ12名のメンバーで構成され、イギリス流の娯楽性の高い競馬を、1834年からシャン・ド・マルスやシャンティイ競馬場で開催した。1836年にはイギリスのダービーを模して3歳馬のためのジョッキークラブ賞(フランスダービー)をシャンティイ競馬場に創設した。パリのシャン・ド・マルス競馬場ではグラン・プリが再開されて「王室大賞(Grand Prix Royal)」となり、こちらは3歳以上の一流馬の競走となった。
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