フランス革命後
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1795年、国民公会によってフランは十進法(1フラン=10ドゥシーム=100サンチーム)による法定通貨として正式に制定された。この時のフランは4.5 gの銀貨であり、4.505 gのリーヴル貨幣より若干小さかったが、1796年には1フラン=1.0125リーヴル(1リーヴル3ドゥニエ)になった。 1803年、フランス革命暦の月の名にちなんだ金貨「フラン・ジェルミナル(Franc germinal)」が発行される。この貨幣は9/31 g (290.32 mg) の純金であった。これ以降、金貨と銀貨を基準にし、相互に交換可能な貨幣制度(金銀複本位制)が確立する。この制度は、1864年に5フラン貨幣以外のすべての銀貨において、銀の含有率が90%から83.5%に落とされるまで続いた。 王政復古の時期も、フランは変わらず通貨として使われた。 フランスは1865年成立のラテン通貨同盟 (Latin Monetary Union, LMU) の創立メンバーとなり、LMUにおいてはフラン・ジェルミナルが基準の貨幣となった。1873年、LMUは1フラン(金フラン)=金9/31 gとする完全金本位制に移行している。
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フランス革命後
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フランス革命期、サント・シャペルは行政の事務所として使われ、窓は巨大な整理棚で隠されていた。その美しさはほとんど忘れ去られていたため、たまたま破壊から免れたが、クワイヤの聖歌隊席や内陣障壁は破壊され、尖塔は引き下ろされ、遺物は散逸してしまった。19世紀になると、フェリックス・デュバンやラッスュ (fr) らと共にル・デュクがサント・シャペルを修復した。現在の繊細な尖塔は、ル・デュクの設計である。シテ宮自体は完全になくなってしまったが、サント・シャペルは宮殿跡の建物(パレ・ド・ジュスティス)に取り囲まれるように残った。 サント・シャペルは1862年に歴史的建造物に指定され、現在は国立モニュメントセンターが管理運営している。 チャペル建造の後援者となったルイ9世の像
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