作風と評価
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「ジョセフ・ホルブルック」の記事における「作風と評価」の解説
ホルブルックは、同世代の他のイギリス人作曲家 ――フランク・ブリッジやハヴァーガル・ブライアンら―― とともに、音楽史においてその功績と独創性が不当に評価されたままの作曲家の一人である。その大作志向から、創り出された作品が「興行師には出費を、聞き手には忍耐をひどく要求した」ためだとする説もある一方で、いくつかの管弦楽曲は、アルトゥール・ニキシュやハンス・リヒター、ヘンリー・ウッド、トマス・ビーチャムといった往時の主要な指揮者が上演するなど、20世紀初頭においてはそれなりの評価も受けており、ホルブルックの擁護者の中には、作曲家グランヴィル・バントックのほか、新ドイツ楽派の支持者アーネスト・ニューマンやスクリャービンの支持者イーグルフィールド=ハルといった当時の有力な音楽評論家がいた。つまるところホルブルックが音楽史から忘れ去られたのは、フランク・ブリッジがイギリス楽壇の非主流派となったのとはまさに逆の理由によって、つまり、第一次世界大戦後もドイツ盛期ロマン派音楽の伝統をかなぐり捨てることが出来なかったために、ちょうど同時代のリヒャルト・シュトラウスと同じく、時代遅れで保守的であると看做されたことによっている。 同世代のたいていの作曲家が調性の拡張や破壊・放棄に向かう中、ベルリオーズやリヒャルト・シュトラウスの影響が明らかな、後期ロマン派音楽の様式を踏まえた管弦楽曲を数多く残した。元々そのような素養があったところに、ワグネリアンのフレデリック・コーダーの指導を受けたことにより、その傾向が強まったものと思われる。多くの作品では、自由だが手堅い楽曲構成、華麗で多様な音色への好み、洗練された精緻な管弦楽法、豊かな詩情と想像力、幻想的な内容、頻繁な半音階技法という特徴が見受けられる。一方で、暗い情念の支配や、短調への傾斜、民族音楽に影響された通俗性、劇的・情熱的に高揚する表現と重厚で濃密な楽想の展開、ブラヴーラな超絶技巧の要求という点で、いくつかの作品はマーラーやラフマニノフに似た作風を示すこともある。 現在は、いくつかの器楽曲が録音を通じて復活を遂げつつあるものの、オペラについては依然として再評価が進んでいない。
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作風と評価
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永田本人が認めている様にいわさきちひろの影響を受けているが、いわさきが人間の子供を題材にした水彩画で知られているのに対して、永田は、カラーインクの鮮やかな色彩を活かした妖精や花を中心とした独特の作風である。 1987年にボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞するなど、絵本作家としての高い評価を得ている。 絵本のほかにも多くの商業イラスト(和服のデザイン等)を手がけている。2000年の淡路花博ジャパンフローラ2000においては、公式ポスターと、マスコットキャラクター「ユメハッチ」のデザインを手がけた。 郵政省発行「ふみの日」キャンペーン切手イラストを、1982年、1983年、1984年、1988年、1990年、1991年と担当。他にも多くのイラストが、郵政省発行記念切手のデザインとして採用されている。1990年には郵便局のイメージキャラクターのデザインを手がけている。 また、エッセイストとしての活躍もめざましい。 意外にも好角家であり、大相撲春場所のゲスト解説者として、NHKに招かれたことがある。 夫は、永田自身が大ファンである絵本作家のHATAO。年に1冊のペースで夫婦合作の絵本を作成しているが、意見を折り合わせながらの制作となるので、年に1冊が限界だとエッセイに書いている。夫の伯母はジャーナリストの増田れい子、祖父母は犬田卯と住井すゑである。 なお、人気の高さゆえか、商店のシャッター、保育園の送迎バス等には、永田の絵の模写を描く者が多い[要出典]。
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作風と評価
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「フェデリコ・モンポウ」の記事における「作風と評価」の解説
モンポウは小品作家としてとりわけ名高く、「繊細」「内省的」「静謐」と評される、短い即興的な作品を作曲した。フランス近代音楽、とりわけ印象主義音楽に影響された作風を採り、最低限に抑え込まれた楽曲の展開、非常に小さな形式を枠組みとした表現、近代的な和声法といった音楽語法が見られる。オスティナート音型や鐘の模倣、ある種の魔術的・瞑想的な響きに対するモンポウの好みについて、音楽評論家のライオネル・ソルターは、「十字架のヨハネにも似た(中略)しじまの声」と呼んだ。作品には小節線のないものも多く、エリック・サティの書法と表面上の類似が見られる。 個別の楽曲が小品である一方で、小品集が連作的な曲集へと成長し、最後の曲集が成立するまで長期間を経ることが間々あった。またひとつの曲集でも、着想から発表までにしばしば時間を費やした。 モンポウの《子供の情景(Scènes d'enfants)》は、フランスの音楽評論家エミール・ヴュイエルモーズをして、「クロード・ドビュッシーの後継者」と言わしめ、歌曲集《夢のたたかい》の第1曲「君の上には花ばかり」を初めて聞いた作曲家のフランシス・プーランクは、感動のあまり3度続けて演奏を求めたという。
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作風と評価
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女性を主題とした漫画を一貫して手掛けたが、「目指してきたのは常に、女性礼賛、女性崇拝、女性賛歌の漫画」と自認していた。裸体はあくまでも「即物的」でユーモラスなものとして描写し、陵辱的な描写を徹底的に避けていた。一方、その女性観にはやや冷徹な部分があったらしく、生前呉智英に、「僕は女に惚れたことは何回もあります、しかし、恋愛をしたことはありません」と語っている。 杉浦以前のギャグ漫画は見るからに滑稽な人物が滑稽を演じるさまを描いたものが主流だったが、杉浦は美男美女が犯す失態と恥じらいを通じてユーモアを描写したことで新奇とみなされた。佐藤忠男は「それ以前に美人画ふうの漫画がなかったわけではなく(略)その絵に漫画的なアイデアは乏しかったので(略)挿絵として扱われた」「杉浦幸雄は、あくまで漫画として笑って読めるアイデアの中に美男美女を描き出した」と杉浦漫画の先進性を指摘している。 さまざまな要素が複雑に混在したひとコマの人物描写を得意とした。佐藤忠男は「エロチシズムだけ、あるいは諷刺だけではそうとうな後輩も出てきているが、笑いと、エロチシズムと、ペーソスと、絵の背後に生活のリアリティを濃密にうきあがらせる風俗描写の正確さや滋味においては、杉浦幸雄の一枚ものは真似手がない」、呉智英は一コマ連作『淑女の見本』について「女の美しさ、女の可愛さ、そして、女のいやらしさ、女の愚かさ、相反するような両面の混在をワンショットで見事に活写している」とそれぞれ評している。 似顔絵の名手ではあったが、街場、とりわけ酒場での観察に基づいた作品を手掛ける際は、知人を傷つけたと受け取られないように「だれにも似ないように描く」ことを心がけていた。 一連の美人描写は小島功に大きな影響を与えたが、杉浦自身は「(私は)小島氏のように上品にかきません」と謙遜している。 連載が長期にわたった際のストーリーや設定の整合性については、あまりこだわりがなかったらしく、「(引用注:『アトミックのおぼん』について)私自身のいい加減な性格も手伝ってか、途中から登場人物やストーリーに脈略がなくなってしまいました」「私の漫画は例によって、登場する人物の役割とか立場ははっきりしないし、ほとんどが名無しの権兵衛」などと語っている。
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作風と評価
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「ピーテル・パウル・ルーベンス」の記事における「作風と評価」の解説
ルーベンスは多作の芸術家だった。顧客からの依頼で描いた作品の多くは宗教的題材の「歴史画」であり、神話や狩猟の場面が描かれているものもあった。また、自身や近親者などの肖像画、さらに晩年には風景画も描いている。その他には、タペストリや版画のデザイン、式典の装飾なども手掛けている。 現存するルーベンスの下絵は極めて力強い筆致で描かれているが、それほど精密なものではなく、下絵を描く際にインクやパステルではなく油彩を使用することが多かった。また、絵画作品の支持体に板を使用し続けた最後の著名な画家のひとりで、とくに遠距離を運搬する必要がある作品であれば、大規模な作品であっても板を支持体として使う場合が多かった。祭壇画であれば、経年変化などの問題を最小限にするために、支持体に石板を採用することもあった。 ルーベンスは肉感的でふくよかな女性を作品に描くことを好んだ。後世になってルーベンスが描いたような肢体の女性を「ルーベンス風」あるいは「ルーベンスの絵のようにふくよかな (Rubenesque )」と呼ぶことがあり、現代オランダ語ではこのような女性を意味する「Rubensiaans」という言葉が日常的に使用されている。 『西洋美術の歴史』においてジャンソンは、ルーベンスはデューラーが100年前に着手した南北ヨーロッパの美術上の障壁を取り除くことに成功したと同時に、フランドルにおける美術がルーベンスの圧倒的な存在感の影に隠れてしまうこととなったと評している。 『フランダースの犬』において、主人公のネロが見たがっていたアントウェルペン大聖堂の絵画である『キリスト昇架』と『キリスト降架』の作者はルーベンスで、ネロが祈りを捧げていたアントウェルペン大聖堂のマリアも、ルーベンスが描いた『聖母被昇天』である。 2002年7月10日にサザビーズで開催されたオークションで、新たにルーベンスの真作であると鑑定された『幼児虐殺』が、4,950万ポンドで落札された。落札したのはカナダの第2代トムソンオブフリート男爵ケネス・ロイ・トムソンで、オールド・マスターの作品についた値段としては当時の最高額であった。
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作風と評価
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あっ、女子しか描けません。すてきな人しか描けません。をキャッチコピーとし、男性を描いてほしいという依頼は断っている。絵柄や色使い、描かれる女子の表情はカラフルでポップなものから静謐で写実的なものまで多様性に富む。その背景には、スタイルを売るよりも大きめの出力装置として様々な人の雰囲気を描き分けたいとの思いがあり、そのためどの絵も古塔さんっぽいですねといった感想に対しては、自身が劣化しているのだと悔しく感じるという。女子だけに描く対象を限定することで表現の幅が狭まると感じないかとの問いに対しても、『女子だけ』を描くことでむしろ、多様性を表していきたいと答え、いろんなの女の子がいるという多様性に目を向けたいと述べている。 描かれる〈女子〉の特徴としては、眼差しや怒ったような表情が印象的であるとの指摘がなされている。目については古塔自身も、信念が宿りやすく1番力を入れている箇所であると答えており、まず最初に描くことが多く、ミリ単位でニュアンスが変わるため修正を重ねることも多いパーツであるとも述べている。またモデルについては、強い意思を感じる子にを頼むことが多いと語っている。ファン層は10代後半から20代前半の女性が中心であるが、それは『自立した強い女の子』『信念を持つ女の子』というイメージが今の時代のムードに合っているからではないかと、自ら分析している。また中国における個展をキュレートした米原 (2021) は、同時代における『前衛デジタル・アート』の代表格の一人と古塔を紹介している。 影響を受けた作家としては、江口寿史・大友克洋・鳥山明・あだち充らを挙げている。年齢・性別・顔を非公開としている理由については、純粋に絵を見てもらうためには、余計な情報はないほうがいいからであるとしている。個展については、2021年初頭のインタビューにおいて見てくれている層が違い[……]作品の見え方が往々にして変わるとしている一方、同年中旬のインタビューおいては、デジタルで作成した絵をフィジカルにアウトプットすることは基本的には劣化であるとの考えや、デジタル作品をアウトプットする手法(インクジェットとシルクスクリーン)のアレンジメントはすでに一通り試したという思いのもと、フィジカルな媒体での作品発表をしばらく控えたいと語っており、同年末から開催される『Enlightenment for easy printing』展以降自身の中核とする個展では単純なジクレープリント(英語版)はもうやらないとしている。
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作風と評価
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「The BERICH」の記事における「作風と評価」の解説
まるで海外アニメを見ているような色彩・造形センスと日本独自の泥臭いユーモアが、高い次元で融合する独自の作風。 これまでのアニメフェアのイメージを打破する映像を持っているとして東京国際アニメフェア公式CMの制作を担当している。
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作風と評価
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「ソフィア・ココサラキ」の記事における「作風と評価」の解説
ココサラキのデザインは、古代ギリシャからインスピレーションを受けている。優美なドレープを巧みにあしらって着用者の女性美を引き出したドレスは、ハリウッドのセレブリティやトップ女優たちからの支持を受けた。 彼女が使用する素材は、柔らかなシルクシフォンからシルクジャージー、硬質なレザーに至るまでヴァリエーションに富む。それらの素材を、アップリケ、ピンタック、コーディング、プリーツ、パッチワークなどハンドクラフトを含む多種多様な技巧を駆使してドレスを作り上げる。作品に色濃くみられるハンドクラフトへの傾倒は、経歴の節で触れたとおり、マクラメ編みの名手だった祖母の存在に影響を受けたものという。 ココサラキはルッフォ リサーチでデザイナーを務めていた時期に、レザーを普通の布地と同様に自在に扱う技術を体得した。レザーを編み上げたり切り裂いたり、ときにはシワ加工を施したりしてその質感を変容させ、新たな表情を与えるのも得意であった。 多くのデザイナーが布とレザーを別物として扱う中で、ココサラキは敢えて両者を組み合わせて使い、ファブリックに多彩な表現を生み出した。繊細で流麗なドレープやプリーツなどをふんだんに使ったドレスは、美しさと着心地のよさを両立させたことで評価された。クロエ・セヴィニー、キルスティン・ダンスト、ケイト・ハドソン、クリスティーナ・リッチ、ティルダ・スウィントン、ジェニファー・コネリー、ヘレン・ミレン、キーラ・ナイトレイ、ダイアン・クルーガーなどが彼女の顧客であった。ただし、ココサラキは自らのブランドについて「プレミア上映会やチャリティイベントのための服じゃない」と述べている。
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作風と評価
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「アーダルベルト・シュティフター」の記事における「作風と評価」の解説
ごく初期の作品にはジャン・パウルや、E.T.A.ホフマンなどのロマン主義からの影響が濃く現れているが、やがて客観的文体によるリアリズムに移行し、精緻な自然描写のなかで人間の静かな営みを描きだすようになった。画家でもあったシュティフターは文学作品のなかでも故郷の森を繰り返し描いており、その大自然の描写は美しさとともに人間をよせつけない厳しさも表現されている。シュティフターはささやかでありふれた日常的なものにこそ偉大なものがあらわれると考えており、そのため英雄の超人的な行為よりも、ありふれた人々の日常的な行為にあらわれた、質素・節度・克己を小説の題材として選んだ。 当時の政治的な激動に直接向かわずに、古典的素養をもとに調和的人間像を追及したシュティフターの作品は一面では反時代的なものでもあり 、同時代のヘッベルは彼を瑣末主義と呼んで批判し、代表作『晩夏』に対しては「通読した者にはポーランドの王冠を進呈しよう」と酷評した。 しかし一方で哲学者ニーチェは、『晩夏』を「繰り返し読まれる」に値するドイツ19世紀後半の優れた散文であると絶賛し、ハイデッガーもまた学生時代からシュティフターに親しんでいたことはよく知られており、一例に『ニーチェ講義』のなかでは、ニーチェをワーグナー的なものの対極に位置づけるべく、シュティフターに言及している。トーマス・マンは、『「ファウストゥス博士」の成立』のなかで、「シュティフターは世界文学の最も注目すべき、最も奥深い、最も内密な大胆さを持つ、最も不思議な感動を与える小説家の一人である」(佐藤晃一訳)と賞賛し、『習作集』『石さまざま』『晩夏』『ヴィティコー』などの諸作品を生涯に渡って愛読するなど、その作品は後世の著作家からしばしば畏敬を持って語られている。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、「ベートーヴェンの『田園』を振るためには、シュティフターを読んでおかねばならないと信じているよ」と録音技師のフリードリヒ・シュナップに語ったという。 日本におけるシュティフターの作品受容の歴史は大正時代に遡り、堀辰雄は、旧制高校時代の授業で『喬木林』(Der Hochwald)を講読したと述べている。以後日本ではほぼすべての小説が翻訳されている。現代文学の作家では、ドイツ文学者でもある作家古井由吉がシュティフターを「長年愛好する作家」と呼び、小説やエッセイでしばしばその作品に言及している。
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作風と評価
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2012年の読売演劇大賞ノミネート時には「正統、異端双方の芝居をこなせる力」、2014年の同賞ノミネート時には「微妙に人間関係の変化してゆく過程を克明に描写する力」、2015年の同賞ノミネート時には「感覚や雰囲気に流されることなく、非常に緻密でタフな演出を行った」ことが評価された。 上記の読売演劇大賞のノミネート選評でも触れられているように演出家としては精緻な作風であると言われている。扇田昭彦はその「リアルで精緻な舞台作り」を高く評価した。『今は亡きヘンリー・モス』で批評家の絶賛を受け、一躍演出家として注目された。多忙になったため、年4本もの芝居を演出するスケジュールに「中身がついていってない」と悩むこともあったという。しかしながら多忙になった後も『OPUS (オーパス)』では「繊細で感度の高い世界」、『RED』では「丁寧に戯曲の行間を掘り起こ」していると評された。 テンポ感にも定評があり、『スポケーンの左手』では「原語での上演に近いテンポ」、『クリプトグラム』では難解な戯曲を演出するにあたり「スピードの緩急に力点を置いた」手法が評価された。 本人は俳優とよく話し合う舞台づくりを心がけていると述べている。事前に詳しい演出ノートを作ることはあまりせず、台本にメモをとる程度で俳優に自由に演技をしてもらいながら芝居を作るほうを好んでいるということである。『トップドッグ/アンダードッグ』では役者から「生々しい演技」を引き出したと称賛された。『星ノ数ホド』に主演した浦井健治は小川のアドバイスにより、事前に準備した演技のプランから離れてより即興的かつ自由に演劇ができるようになったと述べている。『RED』に主演した小栗旬は、最初は小川から「ヘタクソ」などと厳しいコメントを受けたものの、役者に対して詳細に解釈の説明を行い、理解を促してくれる演出家だとしてその助言を高く評価している。 2018年より新国立劇場演劇部門の芸術監督に就任するが、30代での就任は珍しく、日本演劇界においては「異例の抜擢」であると考えられている。新国立劇場には演劇部門の他、オペラ部門と舞踊部門があるが、小川絵梨子は全部門で史上最年少の芸術監督となる。 翻訳ものを得意とする演出家である。本人は単なる海外作品の紹介にとどまらず、「作品に表れる普遍性」や「人間の物語」を伝えることが目的だと述べている。戯曲翻訳家としても評価されており、翻訳のみを担当した『いま、ここにある武器』では「よく咀嚼された翻訳」を称賛された。「原文のリズム」を生かした翻訳を心がけているという。日本の戯曲もとりあげていないわけではなく、劇団イキウメに初の外部演出家として招聘された際には『ミッション』及び『暗いところからやってくる』を演出した。新国立劇場が30代の演出家に日本の戯曲をまかせるシリーズ企画「かさなる視点――日本戯曲の力――」では田中千禾夫『マリアの首――幻に長崎を想う曲――』を演出する。
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作風と評価
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「オタール・イオセリアーニ」の記事における「作風と評価」の解説
緻密に計算されたカメラワークによるワンシーン・ワンショット、やや毒の効いた社会風刺と独自のユーモアを織り交ぜた作風が特徴である。ソ連出身の映画監督、アンドレイ・タルコフスキーも「現代ソ連で一番尊敬する映画作家は?」という質問に対し、イオセリアーニの名を出している。日本においても『素敵な歌と舟はゆく』(1999)、『月曜日に乾杯!』(2002)のヒットにより、次第に名を広めている。トビリシ高等音楽学院の作曲科で音楽を学んだこともあってか、楽器を演奏したり、歌を歌うシーンもイオセリアーニ作品には欠かせない。ただしBGMはほとんど使用せず、セリフも非常に少なめである。そのため退屈さを指摘されることも少なくないが、映像の構成力と音を中心とした映画本来の醍醐味を最大限に活かし、ゆったりと演出している点においては、現存する映画作家の中でも少ない方であろう。部類の酒好きとして有名であり、彼の作中でも必ずと言っていいほど酒を酌み交わすシーンが存在する。中期以降の作品からイオセリアーニ自身も出演するようになり、製作スタッフの数人もキャストに取り入れている。美術担当のマニュ・ド・ショヴィニがその例で、イオセリアーニ作品では常連となっているほどである。カンヌ国際映画祭を始め、数々の映画祭で多くの賞を受賞し、『月曜日に乾杯!』は2002年度のベルリン国際映画祭で銀熊賞と国際批評家連盟賞をダブルで受賞している。
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作風と評価
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杉浦作品は、その独自色の強い強烈な作風から漫画の歴史では語りづらく異端である。同時代に活躍した手塚治虫も、戦前から杉浦のことをユニークな作品を描く漫画家として注目していたが「田河水泡門下とはつゆ知らず、倉金良行(章介)さんとは一線を劃した独立独歩の作家だと思っていた」と語っている。呉智英は、杉浦作品を「戦後復興期から高度成長開始期という現代マンガ成立期でも特筆すべき存在」とし、全盛期の1950年代でさえ、様式的でないギャグや超現実的な物が横溢する作風は異質であり、時代を先取りするものであったと評する。米沢嘉博は、杉浦茂の世界を「メタモルフォセスと奇人変人と食い物にあふれかえった、マンガ故のでたらめで自由な世界」と表現した。 杉浦作品の大胆な筋運びは、杉浦の漫画に対する独特な姿勢が大きく影響している。普通は、構想をまとめた後にネームや下書きなどを経てペン入れに至るが、杉浦は頭の中で、大体の構想をまとめた後、下書きをせずに一発でペンを入れ、執筆途中でも「こちらの方が面白い」と思い至ったら話の筋を曲げるようなことを頻繁に行っていた。弟子の斉藤によれば、杉浦は「ぼくはね、話が前とつながってなくてもいいんだよ」と語っていたという。こうした奔放さは、杉浦作品の大ゴマでよく見る、物語の筋と関係ない群衆が、主要登場人物を埋没させるほどにてんでバラバラに行動し、おしゃべりしたり歌ったりするお祭り騒ぎのような賑やかさにも表れている。また、画家時代の腕を活かしたリアル調の絵でギャグをしたり、デフォルメの絵とリアルの絵を交互に挟んだりする奇抜なセンスも見られる。また、杉浦作品に欠かせないものの一つに、気味の悪い怪物がある。カンブリア紀の生き物さながらのものや、文化や時代性に捕らわれないぶっ飛んだデザインの数々の怪物が現れ、忍術物では登場人物の忍者たちがそういったものに変化(へんげ)している。 杉浦は登場人物の名づけ方も独特である。代表作の『猿飛佐助』を例にとると、食べ物に由来した「うどんこプップのすけ」や「コロッケ五えんのすけ」、「おおそうじでんじろう」(大河内傳次郎)や「たんげ五ぜん」(丹下左膳)などのダジャレ、「おもしろかおざえもん」といった何とも言えないものなど、独自の言語センスを発揮した。斉藤は、杉浦が読者の子供の覚えやすさと親しみやすさを重視してのことだという。こうした言語センスは登場人物の台詞回しにも表れている。例えば、杉浦のプロレスマニアぶりが発揮された『拳斗けん太』や『プロレスの助』では、「えーい」と兇器も辞さない激しい挌闘、暴力で倒された相手が、「ぱ」や「パ」、「て」などの一言悲鳴をあげたり、「ふわ」、「ホワッ」、「ふういてえ」などと笑顔で断末魔をあげたりするところは読者に牧歌的な印象を与える効果が出ている。歌を歌う群衆について前述したが、主要人物もよく歌を歌っている。『猿飛佐助』では真田十勇士の一人三好青海入道が、「しらないまーに食べちゃった♪」と他人の食べ物をテンポよく歌って歌詞で状況説明してつまみ食いをするギャグを披露している。
※この「作風と評価」の解説は、「杉浦茂」の解説の一部です。
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