『レジスタンス』紙
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「ボリス・ヴィルデ」の記事における「『レジスタンス』紙」の解説
人類博物館グループは非合法の新聞『レジスタンス(フランス語版)』を発刊・配布した。1940年12月15日付の創刊号はヴィルデが編集し、ジャン・カスーが発行責任者であった。この創刊号で、ヴィルデは訴えた。 抵抗しよう。これは、祖国の敗残によって塗炭の苦しみに投げ込まれた諸君の、心からほとばしり出る叫びである。諦めることなく、おのれの義務を果そうとする、すべての諸君の叫びである。・・・我々が抱くただひとつの野望、ただひとつの情熱、ただひとつの意思。それは、純粋で自由なフランスを蘇らせることにほかならない。 フランス降伏後の1940年6月18日にシャルル・ド・ゴールがロンドンからフランス国民に呼びかけた「フランスのレジスタンスの炎は消え去ってはならないし、また消えることはないであろう」という言葉に直接応えるこの新聞は、フランス人の士気を大いに高めた。わずか4ページの新聞であり、グループ解体直前の1941年3月25日付の第5号をもって終刊となったが、その影響力は非常に大きかった。最終号にはピエール・ブロソレットも寄稿している。
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