メルセンヌの予想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:03 UTC 版)
メルセンヌの予想の表: p ≦ 263〇:Mpが素数の場合/×:Mpが合成数の場合水色が正解、ピンク色が間違いを示す。 p235711131719Mp 〇 〇 〇 〇 × 〇 〇 〇 p2329313741434753Mp × × 〇 × × × × × p5961677173798389Mp × 〇 × × × × × 〇 p97101103107109113127131Mp × × × 〇 × × 〇 × p137139149151157163167173Mp × × × × × × × × p179181191193197199211223Mp × × × × × × × × p227229233239241251257263Mp × × × × × × × × 1644年、マラン・メルセンヌは「素数 p で 2p − 1 が素数になるのは、p ≦ 257 では p = 2, 3, 5, 7, 13, 17, 19, 31, 67, 127, 257 の11個の場合だけである」という予想を公表した。しかしメルセンヌ自身はその予想を証明することができず、しかもその予想の一部は誤っていた。 成果を見るのはメルセンヌが予想を公表してから128年後、1772年、オイラー(p = 31 では素数)。その次の成果はさらに104年後、1876年、リュカ(効率的な素数判定法リュカ・テスト(英語版)を考案、p = 67 では素数でない、p = 127 では素数)であった。その後リュカ・テストは改良が加えられ、メルセンヌが予想した範囲にない3個が付け加えられた(p = 61(1883年)、p = 89(1911年)、p = 107(1914年))。メルセンヌが予想した最後の数 p = 257 について決着がついたのは1922年のことであり、 p = 257 も合成数だった。 結局メルセンヌの11個の予想のうち2つは外れた。なおかつ、間に予想できなかった3つが含まれていたことを考えれば予想は正しかったとはいえないが、その後の歴史を見ても大きな原動力となり先駆的であったことに敬意を表し、素数であるメルセンヌ数をメルセンヌ素数という[要出典]。 1903年10月、アメリカの数学者フランク・ネルソン・コールは実際の素因数分解を探し求め、ニューヨークで開かれたアメリカ数学会の会議で 193707721 × 761838257287 を黒板に計算し、M67 と一致することを証明した。この間一言もしゃべらず、席に戻った後、少し間を置いて拍手が沸き起こったと伝えられている。 1952年、ラファエル・M・ロビンソンが SWAC を利用して M521 から M2281 まで、5つのメルセンヌ素数を発見して以降、発見にはコンピュータが使用されており、コンピュータの進歩と共に新たなメルセンヌ素数が発見されつつある。
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