待機と自沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 06:17 UTC 版)
「ダンケルク (戦艦)」の記事における「待機と自沈」の解説
後日、ダンケルクは浸水を排水し、浮揚に成功した。1942年(昭和17年)2月下旬になって地中海を横断し、トゥーロンへ帰還した。トゥーロンで乾ドックに入渠し、本格的修理がはじまった。11月8日、連合国軍はトーチ作戦によりモロッコとアルジェリアに上陸し、カサブランカ沖海戦でフランス艦隊が大損害を受ける。フランス海軍総司令官フランソワ・ダルラン大将はトゥーロンのフランス艦隊に自由フランス軍への合流を命じたが、同地のド・ラボルテ大将は出港を拒否した。 11月27日、ドイツ陸軍がアントン作戦によりトゥーロンに侵攻してきた。ダンケルク級2隻(ダンケルク、ストラスブール)はコマンダン・テストなどと共に自沈処理が行われた。ダンケルクの艦長は当初自沈を拒否したが、軽巡ラ・ガリソニエール (La Galissonnière) の艦長に説得され自沈を受け入れた。 その後、トゥーロンはUボートの基地として利用され、連合国軍は空爆をおこなった。1944年(昭和19年)8月6日、連合国軍はドラグーン作戦 (Operation Dragoon) を発動して南フランスに侵攻した。8月15日からはトゥーロンの戦い(英語版、フランス語版)が始まる。この作戦時、ドイツ軍はダンケルク級の主砲塔を利用して応戦したという。連合軍がトゥーロンを占領したとき、ダンケルクは残骸になっていた。 第二次世界大戦終了と共に、解体処分された。 側方から見たダンケルク アメリカ海軍が作成した識別図
※この「待機と自沈」の解説は、「ダンケルク (戦艦)」の解説の一部です。
「待機と自沈」を含む「ダンケルク (戦艦)」の記事については、「ダンケルク (戦艦)」の概要を参照ください。
- 待機と自沈のページへのリンク