ヴィットリオ・ヴェネト_(戦艦)とは? わかりやすく解説

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ヴィットリオ・ヴェネト (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 17:31 UTC 版)

ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto) は、イタリア海軍超弩級戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 (classe Vittorio Veneto) の1番艦である[1][2]。 ただし姉妹艦リットリオ (Littorio) をネームシップとして扱い[3][4]リットリオ級戦艦 (Classe Littorio) と表記する資料もある[5][6][注釈 1][注釈 2]。 艦名は第一次世界大戦ヴィットリオ・ヴェネトの戦いに因む。


注釈

  1. ^ イタリア戦艦ヴィットリオ・ヴェネト Vittorio Veneto (要目略)フランス戦艦ダンケルク級およびリシュリュー級に対抗して、軍縮条約下にイタリアが建造したリットリオ級3隻(1940~42年竣工)中の一艦(以下略)[7]
  2. ^ 伊太利[8] 一九三四-四〇年度海軍豫算中七億リラの其の後の増加があり、總計二十七億三百萬リラとなる。之はリットリオ級の新三五,〇〇〇噸級戰艦四隻を含み、一九四一年迄に伊太利艦隊をば言明したる通り總計七〇〇,〇〇〇噸の勢力に引上げんとする企圖に從ふものである。
     戰艦 三五,〇〇〇噸級のリットリオ及ヴィツトリオは完成し、前者の寫眞は爰に掲載(畧)せる通りである。兩艦の特性中主砲八糎砲九門、契約速力三〇節が含まれるが、一九三九年十月の公試に依れば此の速力を超過したと言はれ二る。兩艦は一九三四年十月起工以來、建造に要せし期間は五箇年少しく餘であつた。然し此の級の第三艦及び第四艦の行程は比較的急速なる進捗を示し、イムペロは去る十一月十五日ゼノアセストリ・ボネンテに於けるアンサルド造船所により造船臺にあること僅か十八箇月の後進水した。/ 本年は舊型戰艦アンドレア・ドリアカイオ・デ・デュイリオの改装が完了する筈であり、之はコンテ・デイ・カヴールギウリオ・セザールの改装と同様の方針で進捗しつゝあるものである。(以下略)
  3. ^ リシュリュー級戦艦は、1935年(昭和10年)6月に締結された英独海軍協定英語版ドイツ語版に対抗しつつ、本級やドイツ新型戦艦を視野に入れて開発された[12]
  4. ^ 戰艦 “チエーザレ Cesre[15] 全要目{排水量25,000噸 速力27節 備砲32糎砲10門、10糎砲24門(兩用砲ならん)建造1911年度目下改装中} 伊太利戰艦を論ずるにあたつては、まづこのところ四年越しで建造中の35,000噸戰艦“ヴイトリオ・ヴヱネト Vittorio Venedo” “リトリオ Littorio”の二艦を忘却してはなるまい。このやうな大艦の建造に伊國海軍がまだ慣れてゐないのも、建造が遅れてゐる一つの理由かも知れないが、佛國の同級の戰艦に對抗し、益々その愼重さを加へてゐると考へるのが至當ではなからうか。現在持つてゐる戰艦中には殆ど見るべきものがないが、その中にあつて獨りチヱーザレのみは大々的改装をほどこされ、寫眞に見るやうな姿となつてやがて再現せんとしてゐる。その艦型は“ネルソン”“ダンケルク”を聯想させるものがある。主砲は口徑を増して32糎砲となり、高角砲も10糎四聯装である。從つて排水量も増加し21,818噸から2,500噸増したが、舊に倍する機關によつて速力22節を出すともいはれてゐる。完成後の大體の要目は全長169.8米、幅28.04米、平均吃水8.54米。速力も恐らく27節位出る機關を据えるのではないかといふ噂である。伊國戰艦計6隻(内未成2隻)。
  5. ^ フォーミダブルは南アフリカを経由して紅海スエズ運河を通過し、3月10日アレクサンドリアに到着した[40]
  6. ^ フォーミダブルの第一波攻撃隊:艦上攻撃機アルバコア (Fairey Albacore)6機、艦上戦闘機フルマー(Fairey Fulmar)2機[48]。第二波攻撃隊:アルバコア3機、ソードフィッシュ2機、フルマー2機[49]
  7. ^ カッタネオ少将はザラに将旗を掲げていた[56]。ザラ沈没時に戦死した。
  8. ^ 英潜水艦アンブラ (HMS Umbra,P35) は、空襲で損傷した重巡トレント (Trento) を雷撃で葬った[72]
  9. ^ 戦艦リットリオは1943年7月にイタリア (Italia) と改名していた[77]

脚注

  1. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 49aイタリア海軍の戦力と艦種の説明/●戦艦
  2. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 152(ロ)高速戦艦ヴィットリオ・ヴェネト(Vittorio Veneto)型(一九四〇~四二年完成)
  3. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 399–401新鋭戦艦「リットリオ」型
  4. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 194a-198戦艦リットリオ級(イタリア)/イタリア期待の新鋭戦艦、まったく活躍できず
  5. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア リットリオ級
  6. ^ a b 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 101–104第二次大戦の列強戦艦の特長
  7. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 14(ヴィットリオ・ヴェネト写真解説)
  8. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 27原本38頁
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 49b.
  10. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 178–181戦艦ダンケルク級(フランス)
  11. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 151a■フランスの戦艦
  12. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 182–185戦艦リシュリュー級(フランス)/ビスマルクと互角に戦えたフランス最後の戦艦
  13. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 86b.
  14. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 151b■イタリアの戦艦
  15. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 143(原本268-269頁)戰艦チヱーザレ
  16. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 37.
  17. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–61(1)フランスとの戦争
  18. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 196.
  19. ^ 呪われた海 1973, p. 229.
  20. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 114–115.
  21. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 86–89イタリアのギリシャ侵攻
  22. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 71aタラント港夜間空襲
  23. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 57.
  24. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 82–85タラント夜襲
  25. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 72–74月明下の襲撃
  26. ^ ウォースパイト 1998, pp. 172–173カニンガムの池
  27. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 242–247(1)タラント港奇襲
  28. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 244–245「イラストリアス」地中海へ
  29. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 95.
  30. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 76.
  31. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 77.
  32. ^ 呪われた海 1973, p. 231.
  33. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 72–74.
  34. ^ ウォースパイト 1998, pp. 176–178ルフトバッファ(ドイツ空軍)の参戦
  35. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 245–246ドイツ空軍援助に登場
  36. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 74–76.
  37. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 251–255不沈の「イラストリアス」
  38. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 79–82ドイツ空軍の戦闘加入で苦戦
  39. ^ ウォースパイト 1998, pp. 179a-183マタパン岬沖海戦 ― 緒戦
  40. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 119–120.
  41. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 98–103マタパン岬沖海戦
  42. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 85–90マタパン岬沖海戦
  43. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 99.
  44. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 25.
  45. ^ ウォースパイト 1998, p. 182マタパン岬沖海戦(1941年3月28日~29日)
  46. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 32.
  47. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 313.
  48. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 87.
  49. ^ a b マッキンタイヤー、空母 1985, p. 88.
  50. ^ ウォースパイト 1998, p. 181.
  51. ^ a b c マッキンタイヤー、空母 1985, p. 89.
  52. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 88.
  53. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 34.
  54. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 90.
  55. ^ ウォースパイト 1998, pp. 183–190マタパン岬沖海戦 ― 夜戦
  56. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 38.
  57. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 102.
  58. ^ ウォースパイト 1998, p. 195.
  59. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 105–110ギリシャ情勢とクレタ島をめぐる戦い
  60. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  61. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 94.
  62. ^ 呪われた海 1973, p. 232.
  63. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 132.
  64. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 278–279過熱する北アフリカ
  65. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 281a-283イタリア本国艦隊司令長官出撃
  66. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 250–251.
  67. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 282–283.
  68. ^ 呪われた海 1973, pp. 236–238.
  69. ^ a b 呪われた海 1973, p. 241.
  70. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 142–145マルタ島へ強行輸送
  71. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 31–32.
  72. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 32–33.
  73. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 161–167ペデスタル作戦
  74. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 167–169生き返ったマルタ、そしてトーチ作戦
  75. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 183.
  76. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 271–272.
  77. ^ 撃沈戦記 1988, p. 400.
  78. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 401a-402全艦隊、英軍に降伏せよ
  79. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 402–404イタリア艦隊、脱出
  80. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 401b-402.
  81. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 404–407誘導ミサイル「フリッツ」
  82. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 89.
  83. ^ イタリア平和条約 1947, pp. 200–203ソヴイエト連邦、連合王國、合衆國及びフランス國の政府の自由処分に委される海軍艦船の表


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