ジュリオ・チェザーレ_(戦艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジュリオ・チェザーレ_(戦艦)の意味・解説 

ジュリオ・チェザーレ (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 04:58 UTC 版)

ジュリオ・チェザーレ[1]、もしくはジュリオ・チェーザレ[2] (Giulio Cesare) [注釈 1]は、イタリア海軍第一次世界大戦前に建造した戦艦[4]。12インチ砲13門(三連装砲塔3基、連装砲塔2基)を搭載した弩級戦艦である[5]コンテ・ディ・カブール級戦艦の2番艦[6]。艦名は古代ローマの独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルのイタリア語読みに由来する[7][注釈 2]ワシントン海軍軍縮条約で、引き続き保有を許された[1]


注釈

  1. ^ 〔伊國〕戰艦チェーザレ[3] 全長 557呎9吋 幅 91呎8吋 吃水 30呎7吋 排水量 21,500噸 速力 23節 備砲(12吋―13門 4.7吋―18門) 魚雷發射管4門 起工 1914年3月 同型艦一隻 カブール
  2. ^ a b 伊國巨艦試射[8] 伊太利國新造ドレートノート艦ジュリアス、シーザーは廿八日大砲搭載試射を行ひ三聯砲塔に配せる十二吋砲十三門の齋射を行ひ好成績を収めたり因みに主砲の齋射は稀れに行はるゝのみにして墺國ピリプス、ユニチスの如き大破損を生じたる程ななるを以て伊國海軍部内にては右の結果に頗る滿足の意を表し居れり(羅馬廿八日發)(記事おわり)
  3. ^ 戰艦 “チエーザレ Cesre[11] 全要目{排水量25,000噸 速力27節 備砲32糎砲10門、10糎砲24門(兩用砲ならん)建造1911年度目下改装中} 伊太利戰艦を論ずるにあたつては、まづこのところ四年越しで建造中の35,000噸戰艦“ヴイトリオ・ヴヱネト Vittorio Venedo” “リトリオ Littorio”の二艦を忘却してはなるまい。このやうな大艦の建造に伊國海軍がまだ慣れてゐないのも、建造が遅れてゐる一つの理由かも知れないが、佛國の同級の戰艦に對抗し、益々その愼重さを加へてゐると考へるのが至當ではなからうか。現在持つてゐる戰艦中には殆ど見るべきものがないが、その中にあつて獨りチヱーザレのみは大々的改装をほどこされ、寫眞に見るやうな姿となつてやがて再現せんとしてゐる。その艦型は“ネルソン”“ダンケルク”を聯想させるものがある。主砲は口徑を増して32糎砲となり、高角砲も10糎四聯装である。從つて排水量も増加し21,818噸から2,500噸増したが、舊に倍する機關によつて速力22節を出すともいはれてゐる。完成後の大體の要目は全長169.8米、幅28.04米、平均吃水8.54米。速力も恐らく27節位出る機關を据えるのではないかといふ噂である。伊國戰艦計6隻(内未成2隻)。
  4. ^ 建造中のイタリア次世代戦艦(フランチェスコ・カラッチョロ級)は建造中止となり[17]、イギリスから輸入した15インチ砲モニター艦ファー・ディ・ブルーノアルフレッド・カッペリーニ)に転用された。
  5. ^ ◎伊國軍艦爆沈[19]▲巴里▼ ツリン電報によれば伊國新式超ド級戰艦レオナド、ダ、ベンス号はタラント港にて臺所より發火し機關室に移り爆發して沈没せり。乗組員三百名溺死を遂げたるが、同艦は千九百十三年の建造にか〃り、二万二千三百三十噸にして千人の乗組員ありたりと(記事おわり)
  6. ^ 第二條及第三條ノ規定ニ從ヒ處分スヘキ軍艦ノ廢棄ニ關シテハ左ノ諸規則ヲ遵守スヘシ[1] 二 仏蘭西佛蘭西國及伊太利國ハ千九百三十一年又ハ其ノ以後ニ於テ本條約ニ依リテ廢棄スヘキ主力艦中ヨリ專ラ練習用ノ爲即チ砲術學校又ハ水雷學校用トシテ航海可能ノモノ二隻ヲ各自保有スルコトヲ得佛蘭西國ノ保有スル右軍艦二隻ハ「ジァン、バール」級ノモノタルヘク又伊太利國ノ保有スルモノノ内一隻「ダンテ、アリギエーリ」ニシテ他ノ一隻「ジュリオ、チェザーレ」級ノモノタルヘシ佛蘭西國及伊太利國ハ前記目的ノ爲右軍艦ヲ保有スルニ當リ其ノ司令塔ヲ撤去破壞シ且該軍艦ヲ軍艦トシテ使用セサルヘキコトヲ各自約定ス(以下略)
  7. ^ カブール級(チェザーレ級)のうちダ・ヴィンチは既に解体され、ダンテ・アリギエーリも1928年に除籍され[22]、該当するイタリア戦艦は本艦とカブールしか残っていなかった。
  8. ^ 戰艦 “ドリア Doria[30] 全要目{排水量21,555噸 速力22節 備砲30糎砲13門、15糎砲16門 魚雷發射管(45糎水中)2門 起工1912年3月 竣工1915年5月 建造所 スペチア造船所} 同型艦“デュイリオ Duilio”21,555噸 建造中のもの2隻“ヴイトリオ・ヴエネト Vittorio Venedo” “リツトリオ Littorio”(2隻共35,000噸) 二三年前までは“アンドレア・ドリア”と言つてゐたが、最近は短く“ドリア”と呼んでゐる。主砲は30糎3聯装三基 2聯装二基で其配置は艦型圖に見られる通りである。外に14ポンド砲13門、14ポンド高角砲6門をもつてゐる。戰艦としては舊型のものと言へようが最近其兵装に根本的改造を加へた。伊國戰艦勢力としては他に“カヴール Cavour”及び“ケーザル Cesare”21,818噸があるが、これも目下舊型の面影ない程にスペチア海軍工廠で改装中であつて、これは前檣樓カタパルトなど列國海軍の戰艦型式に從つてゐるらしい。現有勢力は以上の4隻86,532噸である。
  9. ^ 伊太利[31] 一九三四-四〇年度海軍豫算中七億リラの其の後の増加があり、總計二十七億三百萬リラとなる。之はリットリオ級の新三五,〇〇〇噸級戰艦四隻を含み、一九四一年迄に伊太利艦隊をば言明したる通り總計七〇〇,〇〇〇噸の勢力に引上げんとする企圖に從ふものである。
     戰艦 三五,〇〇〇噸級のリットリオ及ヴィツトリオは完成し、前者の寫眞は爰に掲載(畧)せる通りである。兩艦の特性中主砲八糎砲九門、契約速力三〇節が含まれるが、一九三九年十月の公試に依れば此の速力を超過したと言はれ二る。兩艦は一九三四年十月起工以來、建造に要せし期間は五箇年少しく餘であつた。然し此の級の第三艦及び第四艦の行程は比較的急速なる進捗を示し、イムペロは去る十一月十五日ゼノアのセストリ・ボネンテに於けるアンサルド造船所により造船臺にあること僅か十八箇月の後進水した。/ 本年は舊型戰艦アンドレア・ドリア及カイオ・デ・デュイリオの改装が完了する筈であり、之はコンテ・デイ・カヴール及ギウリオ・セザールの改装と同様の方針で進捗しつゝあるものである。(以下略)
  10. ^ 地中海艦隊に配備されていた英戦艦は、第一次世界大戦にも参加した老朽艦のクイーン・エリザベス級戦艦リヴェンジ級戦艦であり[35]、この時点で完全に近代化されていたのはウォースパイトだけだった[36]
  11. ^ 戦艦部隊のほかに巡洋艦部隊も出撃し、こちらはリッカルド・パラディーニ中将が率いていた。
  12. ^ 速力21ノットしか出せないR級戦艦ロイヤル・サブリンはウォースパイトに追いつけず、この海戦で何の役割も果たさなかった[47]
  13. ^ カニンガム部隊もイタリア空軍機に襲撃され、さらに潜水艦の待ち伏せを警戒して追撃をやめた[48]
  14. ^ 戦艦6隻(リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト、カイオ・デュリオ、コンテ・デ・カブール、アンドレア・ドレア、ジュリオ・チェザーレ)、重巡5隻、軽巡4隻、駆逐艦多数が停泊していた[53][54]
  15. ^ 新鋭戦艦リットリオに魚雷3本命中、戦艦カイオ・デュリオに魚雷1本命中、コンテ・デ・カブールに魚雷1本命中[55]。英海軍はソードフィッシュ2機を喪失した[55]
  16. ^ 姉妹艦コンテ・ディ・カブールは1941年(昭和16年)7月に浮揚されたが、修理は進まなかった[53]1943年(昭和18年)10月10日に近海にて自沈処分となったが、1944年(昭和19年)にドイツ軍の手により浮揚され、1945年(昭和20年)2月15日に連合軍機の攻撃を受け再度沈没した[56]。この艦は最終的に、世界大戦終結後の1948年(昭和23年)に浮揚、解体された。
  17. ^ 11月14日、Uボートの雷撃で空母アーク・ロイヤルが沈没した[63]。11月25日、戦艦バーラムU-331に撃沈された[64]。12月19日、アレクサンドリア港攻撃で戦艦2隻(クイーン・エリザベスヴァリアント)が大破着底した[65]

脚注

  1. ^ a b c d 条約本文 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 世界の艦船 増刊 第175集『英巡洋戦艦「フッド」「リパルス」「リナウン」海人社
  3. ^ 軍艦写真帖 1930, p. 163.
  4. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 78–81イタリア コンテ・ディ・カヴール級/コンテ・ディ・カヴール、ジュリオ・チェザーレ
  5. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 138aCONTE DI CABOUR/徹底した改装工事で生まれ変わった弩級戦艦
  6. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, pp. 105a-109コンテ・ディ・カヴール級/ジュリオ・チェザーレ
  7. ^ a b 堂々英艦隊撃滅へ 英地中海艦隊撃滅に出動する伊海軍精鋭(前より)主力艦カブール號、シーザー號”. Hoji Shinbun Digital Collection. Tairiku Shinpō 1940.09.09 Edition Morning. pp. 02. 2024年1月21日閲覧。
  8. ^ Shin Sekai, 1914.03.30”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年8月29日閲覧。
  9. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 107.
  10. ^ 主力艦の展望 1939, pp. 28–29(原本41-42頁)(カブール級の改装について)
  11. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 143(原本268-269頁)戰艦チヱーザレ
  12. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, pp. 181a-182☆イタリア☆ ジュリオ・チェザーレ
  13. ^ a b 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 149a戦艦「ノヴォロシースク」/戦利艦として手に入れた「ノヴォロシースク」
  14. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 109.
  15. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, pp. 158–159三連装砲塔をいち早く採用したイタリア戦艦
  16. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 105b.
  17. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1998, p. 159.
  18. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 110ド級戦艦レオナルト・ダ・ヴィンチ
  19. ^ Kororado Shinbun, 1916.08.16”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年8月29日閲覧。
  20. ^ 主力艦の展望 1939, pp. 21–22(原本26-27頁)七、ワシントン條約の締結とその影響
  21. ^ Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1916.09.13”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年8月29日閲覧。〔 ●爆沈せり伊太利戰艦(十二日羅馬發)
  22. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 111ド級戦艦 ダンテ・アリギエーリ
  23. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 8–10戦艦の新造
  24. ^ 主力艦の展望 1939, pp. 29–31(原本43-47頁)九、現代の新主力艦(1)主力艦建造競爭の再燃
  25. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 22–23フランス ダンケルク級
  26. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 143DUNKERQUE 戦艦「ダンケルク」
  27. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 50–55イギリス クイーン・エリザベス級
  28. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, pp. 95–96改装で重量が超過した英戦艦「クイーン・エリザベス」
  29. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 80.
  30. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 168(原本318-319頁)戰艦ドリア
  31. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 27原本38頁
  32. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–65(1)フランスとの戦争
  33. ^ ウォースパイト 1998, p. 158.
  34. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 79.
  35. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 364–366○(イタリア)海軍司令部の拙劣な指揮
  36. ^ a b ウォースパイト 1998, p. 159.
  37. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, pp. 139LITTORIO 戦艦「リットリオ」/イタリア海軍が建造・計画した最後の大艦巨砲
  38. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア リットリオ級
  39. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 138bANDREA DORIA 戦艦「アンドレア・ドリア」/建造から40年を生き抜いた伊海軍最後の戦艦
  40. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 82–83イタリア カイオ・デュリオ級
  41. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 81.
  42. ^ ABC-CLIO SCHOOLS History and the Headlines: Vanzo, John P., and Gordon E. Hogg, "Campioni, Inigo (1878–1944)"
  43. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 76–81カラブリア沖海戦とスパダ岬沖海戦
  44. ^ ウォースパイト 1998, pp. 164a-167カラブリア沖海戦 ― 戦闘
  45. ^ ウォースパイト 1998, p. 164b.
  46. ^ a b c ウォースパイト 1998, p. 165.
  47. ^ a b c d ウォースパイト 1998, p. 166.
  48. ^ ウォースパイト 1998, p. 167.
  49. ^ ウォースパイト 1998, pp. 172–173カニンガムの池
  50. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 111–112.
  51. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 82–85タラント夜襲
  52. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 242–246(1)タラント港奇襲
  53. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 245.
  54. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 121タラント軍港攻撃要図
  55. ^ a b ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 119.
  56. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 104.
  57. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 181b.
  58. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 95.
  59. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, pp. 180a-181☆イタリア☆ アンドレア・ドリア
  60. ^ a b c 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 182.
  61. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 181.
  62. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 130–131イギリス海軍悪夢の二ヵ月間
  63. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 125–128思わぬ敵 ― ドイツUボート
  64. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 127.
  65. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128–130思わぬ敵 ― イタリア人間魚雷
  66. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 281–283イタリア本国艦隊司令長官出撃
  67. ^ 撃沈戦記(II) 1988, p. 282.
  68. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 283–284夕暮れの会敵
  69. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 284–286夕暮れの会敵
  70. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 182–183.
  71. ^ ウォースパイト 1998, pp. 210–213ハスキー作戦(シシリー島上陸作戦)
  72. ^ ウォースパイト 1998, p. 211.
  73. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 186–187.
  74. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 188.
  75. ^ ウォースパイト 1998, p. 216.
  76. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 149b戦艦「アルハンゲリスク」/英国からソ連で貸与した「アルハンゲリスク」
  77. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, pp. 124–125ソビエト/アルハンゲルスク
  78. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 48–49イギリス ロイヤル・サブリン級
  79. ^ a b 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 149c.
  80. ^ a b c d 幻のソ連戦艦建造計画、148ページ
  81. ^ a b 幻のソ連戦艦建造計画、168ページ
  82. ^ 「世界の艦船1993年9月号」記事「戦艦ノヴォロシースク爆沈事故の詳細」(海人社)
  83. ^ 幻のソ連戦艦建造計画、168-169ページ
  84. ^ a b 幻のソ連戦艦建造計画、169ページ
  85. ^ 幻のソ連戦艦建造計画、169、172ページ
  86. ^ a b 幻のソ連戦艦建造計画、172ページ
  87. ^ 勝利への道、157ページ


「ジュリオ・チェザーレ (戦艦)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジュリオ・チェザーレ_(戦艦)」の関連用語

ジュリオ・チェザーレ_(戦艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジュリオ・チェザーレ_(戦艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジュリオ・チェザーレ (戦艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS