地中海戦域とは? わかりやすく解説

地中海戦域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 06:17 UTC 版)

ダンケルク (戦艦)」の記事における「地中海戦域」の解説

詳細は「メルセルケビール海戦」を参照 1940年昭和15年4月初頭ドイツ軍ヴェーザー演習作戦によりノルウェーの戦い始まりフランス艦隊出撃準備をおこなう。だが同時期にイタリア王国参戦可能性高くなり、同月末までにダンケルク級を含む襲撃部隊北アフリカアルジェリア移動したイタリア参戦した場合フランス海軍地中海西側担当しアレクサンドリア拠点とするイギリス海軍地中海艦隊が東半分を受け持つ。ダンケルクストラスブールアルジェリアメルス・エル・ケビールドック入りし、整備おこなった5月以降ドイツ軍快進撃により、連合国軍西部戦線大敗した6月10日イタリア王国枢軸にたって連合国宣戦布告し、地中海戦域は一気緊迫化したフランス海軍ヴァード作戦 (Opération Vado) を発動し巡洋艦部隊イタリア北西部ジェノヴァ軍港砲撃した。この作戦ダンケルク級参加していない。6月22日独仏休戦協定が、24日フランスイタリア間でヴィラ・インチーサ休戦協定イタリア語版フランス語版)が結ばれてフランス事実上降伏する。さらにヴィシー政権成立すると、イギリスは「これらのフランス艦艇ナチス・ドイツ接収されるのではないか」と懸念した7月3日イギリス軍フランス艦隊無力化するためカタパルト作戦 (Operation Catapult) を発動しジブラルタル拠点行動するH部隊 (Force H) がメルセルケビール沖合集結する。H部隊司令官ジェームズ・サマヴィル中将旗艦は、かつてダンケルク(ジャンスール提督と共にシャルンホルスト級追跡した巡洋戦艦フッド (HMS Hood) であったメルセルケビールには、新型戦艦2隻(ダンケルクストラスブール)、プロヴァンス級戦艦2隻、水上機母艦コマンダン・テスト (Commandant Teste) などが停泊していた。H部隊フランス艦隊司令長官ジャンスール中将旗艦ダンケルク)に降伏もしくは自沈促すと共に空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) のソードフィッシュ (Fairey Swordfish) が機雷投下した夕刻になり戦端切られH部隊港外から砲撃開始するフランス艦隊撃ち返した。15インチ砲4発が命中したダンケルク中破し、沈没避けるため故意浅瀬座礁させられた。戦艦プロヴァンス (Provence) も被弾して着底し、戦艦ブルターニュ (Bretagne) は爆沈した。ストラスブール大型駆逐艦5隻は脱出成功しトゥーロン辿り着いた7月6日H部隊アーク・ロイヤル搭載機による空襲をおこなう(レバー作戦)。ソードフィッシュ攻撃哨戒艇被雷、その搭載爆雷誘爆ダンケルクは一層の被害受けた一連の戦闘による本艦戦死者200名を越えたという。

※この「地中海戦域」の解説は、「ダンケルク (戦艦)」の解説の一部です。
「地中海戦域」を含む「ダンケルク (戦艦)」の記事については、「ダンケルク (戦艦)」の概要を参照ください。


地中海戦域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:24 UTC 版)

オスカー=ハインリヒ・ベール」の記事における「地中海戦域」の解説

1942年6月JG 77は地中海戦域へ転戦しチュニジアへの移転北アフリカでの作戦行動前にマルタ上空での戦い参加したベーア149機目を撃墜するとハンス=ユルゲン・フォン・アルニム将軍ベール柏葉・剣・ダイヤモンド騎士鉄十字勲章申請した国家元帥ヘルマン・ゲーリングはこの申請無視しベーアダイヤモンド追加授与することを拒否した。この理由について確かなことは残されていないが、ゲーリングベーアのことをその反抗的な性格ゲーリング嫌悪していたことで知られる強い低地ザクセン地方訛り理由嫌っていたといわれている。 ベーア彼のJG 77/第I飛行隊1943年3月初めにチュニジアのFatnassaを拠点としていた。3月1日ベーアスピットファイアを1機撃墜した晩にJG 77/第I飛行隊告知無し訪問したアドルフ・ガーランド会ったガーランドヨアヒム・ミュンヒェベルク少佐迎えられ、ミュンヒェベルクはベーアガーランド紹介したこのようにして第二次世界大戦の間継続する戦友付き合い始まった北アフリカと地中海戦域で撃墜記録179機までのばしたが、増大する連合国軍の空での優勢に対して負け戦ベール戦意喪失し精神的に肉体的に激しく消耗していた。JG 77新し戦闘航空団司令ヨハネス・シュタインホフ大佐ヘルマン・ゲーリング協議した後で1943年の夏にベーアは「敵前での臆病な振舞いにより」飛行隊長の任を解かれフランスへ異動させられた。ベーア訓練部隊である南部戦闘飛行隊指揮引き継いだ

※この「地中海戦域」の解説は、「オスカー=ハインリヒ・ベール」の解説の一部です。
「地中海戦域」を含む「オスカー=ハインリヒ・ベール」の記事については、「オスカー=ハインリヒ・ベール」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「地中海戦域」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「地中海戦域」の関連用語

地中海戦域のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



地中海戦域のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダンケルク (戦艦) (改訂履歴)、オスカー=ハインリヒ・ベール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS