イタリアの降伏とイタリア本土での戦い(1943年6月~1945年5月)
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「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の記事における「イタリアの降伏とイタリア本土での戦い(1943年6月~1945年5月)」の解説
チュニジアを占領し、連合軍は対岸シチリアへの橋頭堡を得た。1943年7月10日、シチリア上陸「ハスキー作戦」を開始。敗北が避けがたい事を悟ったイタリアでは7月25日にムッソリーニが失脚、ピエトロ・バドリオ政権が発足した。9月8日、イタリア本土サレルノへの上陸が始まると、休戦を表明した。 これに対しドイツ軍は9月9日、ローマを占領、バドリオ政権は南部へ脱出する。イタリア戦線が開幕した。9月12日、ドイツ軍特殊部隊がムッソリーニを救出し、15日、北部にドイツの傀儡イタリア社会共和国を樹立した。 それでも連合軍の優勢は続き、1943年9月末にナポリを占領した。10月13日、バドリオ政権はドイツへ宣戦布告。1944年1月、連合軍はローマ南方のアンツィオへ上陸を開始した。5月にはドイツ軍の防衛線を迂回し、6月4日にはローマを占領する。その後、連合軍の西部戦線(ノルマンディー上陸とその後のドイツに向かって進攻)優先の方針もあり、ドイツ軍の新しい防衛線で戦線は1945年春まで停滞するが、同年4月5日、ボローニャのアペニン山脈で連合軍は進撃を再開する。同25日、イタリアのパルチザンが蜂起。ムッソリーニは愛人と共にミラノを脱出するが同28日、スイス国境で逮捕され、翌日処刑された。5月2日、イタリア方面のドイツ軍は降伏、ここに地中海における戦いは幕を閉じた。
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