地中海東部を襲う暗黒の影と製鉄技術の拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「地中海東部を襲う暗黒の影と製鉄技術の拡散」の解説
前1200年のカタストロフを迎えた環地中海地帯は低迷期を迎える。特にギリシャの衰退は激しかった。それまで使用されていた線文字Bは忘れ去られ、芸術品、壁画、ありとあらゆる文化的なものが失われ、それまで華やかであった土器も単純な絵柄である幾何学文様と化した。 アナトリアではヒッタイト帝国が崩壊し、エジプトでは全ての保護領が失われ王権は失墜しはじめた。メソポタミアでも闇を迎え、好戦的なアッシリア帝国もその影響を受けながらからくも生き残っていた。そして環東地中海地帯を数世紀に渡る後退期が包み込む事になる。しかし、ヒッタイト帝国が崩壊したことで、キリキア、シリア北部で行っていたと考えられている鉄の浸炭は海の民の動乱により各地へ広がった。この出来事により鉄器が各地で普及、大衆化された。各地の国家、民族がその製法を手に入れ各地にある鉄鉱石で鉄器を製造したが、この技術革新はそれまで存在した各地の国家の屋台骨を揺るがすこととなった。このことをブローデルは『鉄は解放者』であったと記している。 製鉄技術の拡散は各地に技術革新をもたらした。手工業、鉱山業、農業技術、灌漑技術の発達など社会、経済に大きな影響を与えた。しかし、一方で鉄器は武器の「改良」も進めることになった。そして鉄の精錬を行うには燃料が必要であったが、これは局地的な生態系の破壊を引き起こすこともあった。 カタストロフによりエジプト、メソポタミア、ヒッタイトらが共に崩壊したために、近東では小国家が乱立した。小アジアではウラルトゥが勃興、アッシリアと激しく戦い、アナトリア高原ではフリュギア人らが勢力を拡大した。そしてアナトリア半島西部ではリュディアが勢力を広げ、シリアではアラム人らが勢力を広げた。そしてパレスチナの地域ではイスラエル人らの王国も築かれ、ソロモン王の栄光を迎える。 これらの激動的変化の要因については答えが未だに確定していない。しかし、東地中海周辺諸国の内外の様々な要因が複雑に絡み合った上で発生したことは間違いない。地質学的には気温と海面の上昇が指摘されており、各地の青銅器時代の「宮廷」社会が崩壊して地域全体の生活、交易、交通の大変化が見られる。それまで宮殿や宮廷を中心に活動していた人々は町を離れたために村落的な社会へと変化、パレスティナ、シリア、ギリシャなどでは牧畜が生業と化した事が考えられている。
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