エル・アラメインの戦いと北アフリカの枢軸軍消滅(1942年6月~1943年5月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 01:51 UTC 版)
「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の記事における「エル・アラメインの戦いと北アフリカの枢軸軍消滅(1942年6月~1943年5月)」の解説
追い詰められたイギリス軍はマルタへの海上補給を強化、6月に「ハープーン作戦」・8月に「ペデスタル作戦を行い、多大な犠牲を出しながらも中部地中海での制海・制空権を回復し、アレクサンドリアで兵器・物資の陸揚げを始めた。逆に枢軸国による北アフリカの補給は滞り、既にアメリカが参戦していたため、イギリス軍にはアメリカから貸与された兵器・物資も加わり、物量で枢軸軍を圧倒し始めた。 7月1日ロンメルはイギリス軍陣地へ攻撃をかけたが攻め切れずに中止(アラム・ハルファの戦い)、逆に10月23日イギリス軍が攻撃を開始(エル・アラメインの戦い)、アフリカ軍団は壊滅的損害を受け、リビアも捨て、チュニジアへと退却した。 11月8日イギリス・アメリカ軍はモロッコ・アルジェリアへの上陸作戦「トーチ作戦」を開始。これに対しヒトラーは北アフリカの死守とチュニジア(フランス軍が駐留)への派兵を命じた。最初の部隊は11月11日に到着し引続き兵員や装備が増強された。エル・アラメインから退却した枢軸軍も到着して、チュニジアの戦いが行われたが補給力に劣る枢軸軍は次第に劣勢になり、1943年5月に降伏した。
※この「エル・アラメインの戦いと北アフリカの枢軸軍消滅(1942年6月~1943年5月)」の解説は、「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の解説の一部です。
「エル・アラメインの戦いと北アフリカの枢軸軍消滅(1942年6月~1943年5月)」を含む「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の記事については、「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の概要を参照ください。
- エル・アラメインの戦いと北アフリカの枢軸軍消滅のページへのリンク