海戦経過とは? わかりやすく解説

海戦経過(2月27-28日)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:04 UTC 版)

スラバヤ沖海戦」の記事における「海戦経過(2月27-28日)」の解説

27日 14:05那智偵が連合軍艦隊発見16:59神通敵艦マスト発見。(第一次昼戦) 17:45、16800mで神通砲撃開始17:47、26000mで第五戦隊砲撃開始連合軍砲撃開始17:50第二水雷戦隊はいったん退避18:04第四水雷戦隊魚雷発射戦果無し第五戦隊遠距離から砲撃続けたため、損害与えられず。 18:22羽黒魚雷発射18:37高木少将全軍突撃命令18:38エクセター命中弾。速度低下、左へ変針後続艦変針命令出たものと勘違いして変針18:45、コルテノールに魚雷命中沈没する連合軍艦隊戦場離脱19:15第五戦隊連合軍捕捉砲撃開始日本艦隊魚雷発射するも、一本命中せず19:40連合軍反撃し朝雲命中弾。 19:50日没 19:54朝雲峯雲によりエレクトラ沈没両軍夜戦準備に入る。 20:55連合軍那智羽黒発見し攻撃開始収容中那智羽黒退避。(第一次夜戦)エクセター駆逐艦4隻はスラバヤ退避22:55ジュピターオランダ軍機雷により沈没28日 00:33第五戦隊連合軍巡洋艦4隻を発見。(第二次夜戦) 00:5012,000mで同航戦に入る。 00:53那智羽黒魚雷発射01:09デ・ロイテルジャワ魚雷命中沈没司令官ドールマン少将戦死するヒューストンパース離脱

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海戦経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 15:48 UTC 版)

第1次ナルヴィク海戦」の記事における「海戦経過」の解説

イギリス駆逐艦ハーディハンターハヴォックの順でナルヴィク入り口入り港内艦船に対して攻撃おこなった残りの2隻、ホスタイルホットスパーは港の北側調べ向かった。 まずハーディ3本魚雷発射したそのうちの1本がドイツ側旗艦ヴィルヘルム・ハイドカンプ命中し弾薬誘爆して、座乗していたナルヴィク攻略部隊指揮官フリードリヒ・ボンテ代将戦死した残り2本の内1本は商船命中したハーディはさらに4本の魚雷発射したがこれはすべて外れた続いてハンターが8本の魚雷発射し駆逐艦アントン・シュミットに1本命中させた。また砲撃でもアントン・シュミットに命中弾を与えた次いでハヴォック港内入り3本魚雷発射した。内1本がアントン・シュミットに命中した。アントン・シュミットは爆沈し、その影響近くにいたヘルマン・キュンネは航行不能となった残り2本の魚雷商船命中したまた、ハヴォックハンス・リューデマンに2発の命中弾を与えた。港の北の調査向かっていたホスタイルホットスパーも何も発見できなかったことから攻撃加わったホットスパーは4本の魚雷発射し、2本が商船命中したホスタイルはディーター・フォン・レーダーに2発の命中弾を与えたこの後砲戦続き、ディーター・フォン・レーダーはさらに命中弾を受けた。5時5分、ディーター・フォン・レーダーは8本の魚雷発射した命中しなかった。イギリス側は煙で港内様子がわからなくなったため一旦港外出た。この時点イギリス側命中弾を受けた艦はなかった。 各艦の残存魚雷半数確認し港内の敵はほぼ撃破し港外には敵は見当たらないためウォーバートン=リー撤退前にもう一度攻撃することを決めた。この攻撃の際、ホスタイルは4本の魚雷発射したハンス・リューデマンも4本の魚雷発射した命中しなかった。また、ホスタイル命中弾1発を受けたイギリス軍の攻撃始まってから約1時間後、ヘリヤンクスフィヨルドからエリッヒ・バイ中佐(第4駆逐隊司令指揮するドイツ駆逐艦ヴォルフガング・ツェンカー、エーリッヒ・ケルナー、エーリッヒ・ギーゼが現れた。5時40分にハーディハヴォックがそれを発見し、ウォーバートン=リー撤退命じたドイツ駆逐艦と、西へ退避するイギリス駆逐艦交戦したが、共に命中弾は得られなかった。 バランゲンフィヨルドに停泊していたフリッツ・ベルガー中佐(第1駆逐隊司令指揮ドイツ駆逐艦ゲオルク・ティーレとベルント・フォン・アルニムは5時50分にバランゲンフィヨルドを出た。ウォーバートン・リーはこの2隻の駆逐艦味方増援だと誤認した。5時57分、ドイツ駆逐艦砲撃開始した。まず、ハーディ命中弾を受けた艦橋への命中弾でバーナード・ウォーバートン=リー大佐致命傷をおった。大きな損害受けたハーディは南に向かい岸乗り上げた。ゲオルク・ティーレとベルント・フォン・アルニムはイギリス駆逐艦の前を横切って東方向向かい後方イギリス駆逐艦戦闘加わったこの間ハヴォックが5本、ホスタイルが4本、ゲオルク・ティーレは2本、ベルント・フォン・アルニムが1本の魚雷発射したが、これらはすべて外れた。それから、ドイツ駆逐艦2隻は取り舵取って西に向き変えた。ゲオルク・ティーレがボイラー室命中弾を受け、ハンター被弾炎上したドイツ駆逐艦イギリス駆逐艦前に出た。ゲオルク・ティーレは3発被弾したが、3本魚雷発射し、1本がハンター命中したその後ろを航行していたホットスパーは2本の魚雷発射した直後被弾し操艦不能となって6時15分頃ハンター衝突したこの頃にはバイ中佐率い駆逐艦も再び戦闘加わりハンターホットスパーは5隻の駆逐艦による攻撃受けたハンターホットスパー反撃し、ベルント・フォン・アルニムに命中弾を与えたホットスパーハンター離れることに成功しハヴォックホスタイル援護されフィヨルド外へ退避していった。ハンター沈没したドイツ側深刻な燃料不足などもあって追撃断念した退避中、イギリス駆逐艦弾薬積んだドイツ船ラウェンフェルス(Rauenfels、8,460 BRT)を発見し沈めた

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海戦経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:19 UTC 版)

第1次シルテ湾海戦」の記事における「海戦経過」の解説

12月17日中にイアキーノの元にイギリス艦隊に関する情報届いたが、それではブレコンシャーを戦艦誤認していた。さらに、1隻しか報告されていないにもかかわらず、イアキーノ提督は「イギリス戦艦3隻がイタリア船団攻撃向かっている」と判断した実際には、地中海艦隊主力艦護衛駆逐艦不足のためアレクサンドリア留め置かれていた。イアキーノの部隊速度上げ南へ向かった一方、ヴァイアン少将イタリア艦隊情報得て会敵可能性下げるため南西向かったイギリス艦隊ドイツ空軍イタリア空軍航空部隊による攻撃何度も受けたが、損害はなかった。 夕刻イギリス艦隊対空砲火視認したイタリア艦隊そのほうへと向かい日没後に戦闘開始された。イタリア艦隊戦艦32,000メートルの距離で砲撃開始した。ヴァイアン少将はブレコンシャーに駆逐艦2隻(デコイハヴォック)をつけて南へ向かわせると、残り艦艇率いてイタリア艦隊向かったイギリス艦隊軽巡のうち何隻かは対艦戦闘不向きな防空巡洋艦だったので、英艦隊イタリア艦隊対し圧倒的不利であったイギリス艦隊駆逐艦による魚雷攻撃賭けるしかなく、これを阻止しようとするイタリア駆逐艦の間で小競り合い繰り広げられた。重巡ゴリツィア本隊から突出し砲撃で英駆逐艦1隻(キプリング)を損傷させたという。またイタリア駆逐艦マエストラーレ (Maestrale) も駆逐艦1隻(ニザム)を損傷させている。イタリア艦隊イギリス駆逐艦雷撃行った誤認して回避運動を取ると、そのまま砲撃停止し1828分には北へむかった。イアキーノの任務船団護衛であったためである。ヴァイアン少将もブレコンシャーの護衛優先し、約40分間海戦終了した。 この海戦イギリス駆逐艦キプリング (HMS KiplingF91) が軽微な損傷を受け死者1名を出した

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海戦経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 13:58 UTC 版)

蔚山沖海戦」の記事における「海戦経過」の解説

8月14日午前4時25分、蔚山南方南下であった上村率い装甲巡洋艦出雲」「吾妻」「常磐」「磐手からなる第二戦隊は左舷前方灯火発見し4時50分にそれがウラジオストク艦隊であると確認した一方ウラジオストク艦隊の方も4時30分に北方日本艦隊発見している。ウラジオストク艦隊は南に向けて逃走図ったが、敵発見の報を受けて南から北上してくる「浪速」を発見し一戦を交えるのもやむなし北北西に転針。それを受けて第二戦隊も東南東変針した。 両艦隊の距離は縮まり、5時23分に距離8400メートル砲戦開始された。砲戦では双方損害生じたが、5時36分にウラジオストク艦隊が右に変針すると最後尾リューリク集中砲火受けて遅れ艦長エフゲニー・トルーソフ大佐戦死した6時グロモボーイロシア16点回頭行いリューリクとともに北西向かった。そのため第二戦隊も北西微西に変針戦闘続行した6時30分、リューリク舵機損傷により戦列外れた以後グロモボーイロシアリューリク援護しようとし日本第二戦隊との交戦続けたが、ロシア損害大きくなりリューリク損害がひどく救えない状態になったため7時54分(45分)ごろにグロモボーイロシア北へ逃走した。8時8分ごろグロモボーイロシア再度第二戦隊に向かい、このときの戦闘リューリク放った砲弾磐手命中し磐手死傷者75名を出すということもあったが、イェッセンはリューリク救援断念して8時22分には再び北へ向かった。このときには第四戦隊浪速高千穂接近して来ていたが、イェッセン少将第二戦隊を残りの2艦に引きつければ損傷したリューリク」も防護巡洋艦2隻を破って帰還できるではないか期待していた。 上村第四戦隊リューリク任してグロモボーイロシア追撃したが、出雲弾薬欠乏したとの報告受けたため10時4分に追撃をやめた。この際、あまりの騒音喧騒にて、隣の人間とも話もできなかったため、上村弾薬欠乏伝えようとした参謀黒板でもってワレ残弾ナシと書いて伝えると、それを見た上村悔しさからか、黒板参謀から奪い取って床に投げつけ、それを何度も踏みつけたという。ただし、出雲弾薬は弾庫では少なくなっていても大部分弾薬通路にあったともいう。第二戦隊の追撃中止により、グロモボーイロシア二日後にウラジオストク帰還している。両艦の人的被害はイェッセンの報告によれば戦死140、負傷319であり、一方第二戦隊の方は戦死45負傷55であった瓜生少将率い浪速高千穂リューリク対し8時42分に砲撃開始したリューリク魚雷発射した衝角攻撃試みるなど抵抗続けた10時ごろには沈黙指揮とっていたコンスタンチン・イワノフ=トゥリナーッツァッチ(ロシア語版大尉自沈命じリューリク沈没したリューリク沈没後日本側は救助作業行い626名を救助した

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海戦経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:24 UTC 版)

ゴットランド島沖海戦」の記事における「海戦経過」の解説

ロシア第1巡洋艦旅団アルバトロスおよびアウクスブルク出会い7月2日6時32分に砲撃開始した6時53分にドイツ側指揮官Johannes Karpfは巡洋艦水雷艇だけでも救おうと左に舵を切り、ロシア艦隊の前を横切って南へ向かった一方アルバトロスにはスウェーデン領海内へと逃げ込むよう命じたロシア側はアウクスブルク追跡せず、全艦アルバトロス攻撃したアルバトロス西へ向かい7時45分ゴットランド島スウェーデン領海内へ入って砲撃停止した。だが、ロシア側はそれ以降もしばらく砲撃続行したアルバトロスには8インチ砲弾6発と6インチ砲弾20発が命中し、また不発弾4発が後に発見された。死者27であったアルバトロス転覆避けるため座礁させられた。 砲撃停止ロシア巡洋艦北へ向かったが、そこにKarpfからの通信受けて駆けつけローンリューベック南方から現れた。9時過ぎローン砲撃開始し両軍はしばらく交戦したが、ロシア艦隊動きドイツ側をより強力な部隊元へ誘引しているように思えたことやアウクスブルク所在不明であったことから9時22分にローン砲撃停止して反転しリューベックもそれに続いたロシア側も弾薬不足のため戦闘続け意思無く北東向かった。この交戦中バヤーンに21cm砲弾1発が命中した。 9時30分、リューベックが東に煙を発見リューベックその方向に向かったがそれはリューリクであったリューベックリューリク戦闘開始し15分後にはローン戦闘加わった。またアウクスブルクローン合流したリューベック戦闘離脱命じられ10時4分に砲撃停止。Karpfは強力な敵との戦闘継続するつもりは無く10時20分に海戦終了したリューリク10時50分に旗艦呼び戻された。このときの戦闘ではリューリク多数命中弾を受けた。 なお、他の艦と合流できなかったノヴィークはイルベ海峡向かいそこで停泊した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 02:18 UTC 版)

バレンツ海海戦」の記事における「海戦経過」の解説

31日8時20分、オブデュレイトがドイツ駆逐艦発見続いてオンズローアドミラル・ヒッパー発見したイギリス駆逐艦煙幕を張るとともにアドミラル・ヒッパー前面に展開、また船団各船は出撃前の打ち合わせどおり一斉に発煙フロート投下した10時00分、オンズローアドミラル・ヒッパーからの8インチ弾が命中し艦橋損傷シャーブルック大佐重傷負った指揮執り続けた。だが、オンズローはさらに数発の命中弾を受け、シャーブルック大佐指揮権僚艦譲った。残る駆逐艦偽装雷撃などあらゆる手段尽くしてアドミラル・ヒッパー船団近づくのを阻止したが、オビーディアントが損傷を受けるなど綱渡り状況続いたこの間リュッツォウ駆逐艦3隻は商船捕捉したようだが、商船煙幕吹雪隠れ、「(誤認の)危険を冒すな」という命令のため追跡は行わなかった。 一方船団付近ではアケイティーズが直援行動従事していたが、1100分、吹雪弱まった折にアドミラル・ヒッパー攻撃を受け被弾大破した。だが、アケイティーズは被弾しながらも煙幕展開し続け、2時間後に沈没するまでその任務全うした1145分シェフィールドジャマイカ戦場到着し攻撃開始したアドミラル・ヒッパー命中弾があり、クメッツ中将は全艦に退避命じた。フリードリヒ・エックホルトとリヒャルト・バイツェンは2隻のイギリス巡洋艦アドミラル・ヒッパーおよびリュッツォウ誤認して接近し、フリードリヒ・エックホルトはシェフィールドから多数の6インチ砲弾浴びて撃沈された。リヒャルト・バイツェンは被害僅少で、ジャマイカ砲撃から辛くも脱したその後アドミラル・ヒッパーリュッツォウイギリス巡洋艦2隻を挟み撃ちするチャンス得たものの、逆にシェフィールドジャマイカの2隻は果断に一斉砲撃加えて撃退した。これを潮にドイツ側母港へと撤収した。 なお、船団からはぐれた輸送船捜索するべく本隊から分離していた掃海艇ブランブルも、ドイツ艦隊攻撃により沈没した考えられている。

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海戦経過

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北岬沖海戦」の記事における「海戦経過」の解説

12月26日0730時、出撃北進続けてきたバイ少将は、イギリス船団北側回りこんだと判断し麾下駆逐艦五隻を南西向けて散開させた。実際フレーザー大将命令によりJW55B船団は更に北西方航行中であり、この命令は独駆逐艦隊を遊兵化しシャルンホルストを全くの孤立状態追い込むこととなった。0830時、ドイツ艦隊出撃の報を聞いて西進してきたフォース1の各艦のレーダーシャルンホルスト艦影捉えられた。一方でシャルンホルスト側のレーダー逆探警戒して作動させておらず、英巡洋艦隊は0926時、12000mにまで距離を詰めた上で射撃開始することができた。吹雪の中から砲撃してくる英巡洋艦対しシャルンホルスト応射しつつ高速離脱図った。このときの砲戦15程度終了したが、シャルンホルストは数発の命中弾を受け、うち一弾がレーダー使用不能にした。このため以後戦闘では悪天候下での目視射撃強いられ、また英艦隊動きをつかむことが困難となり、単艦で行動していることもあって海戦主導権イギリス側渡っていく。 戦闘開始早々にレーダー破壊され探索能力大きなハンディキャップ背負わされたシャルンホルストだが、バイ少将はなお船攻撃放棄せず駆逐艦隊を呼び戻しつつ艦を北進させた。一方バーネット中将フォース1各艦は独戦艦推定位置とJW55B船団の間に位置しつつ同じく北上、RA55A船団から第36駆逐隊駆逐艦4隻も合流させ再襲撃備えた。 1210時シェフィールドレーダーシャルンホルスト感知フォース1は10000mから砲撃開始したシャルンホルスト応戦しノーフォーク命中弾を与えて主砲塔レーダー破壊した砲戦二十程度終了したが、バイ少将敵艦隊の中に戦艦がいると判断作戦中止決断し報告電を送りつつ南に転舵した。 1423時、バイ少将駆逐艦隊にも帰港命じたノルウェーへ向け南東航行続けシャルンホルストであったが、1650時、突如フォース2の戦艦デューク・オブ・ヨークからの砲撃浴びた。英艦隊それより30分前からレーダーシャルンホルスト捉えており、東進してきたフレーザー大将フォース2はシャルンホルスト進路上に立ち塞がり、11000mという戦艦砲撃戦では至近といっていい距離まで目標引き付けて砲撃開始したのである。完全な奇襲受けたシャルンホルスト慌てて回頭するも北へ逃げ道追走してきたフォース1に塞がれており、すぐに再転舵、出しうる最大速度東へ向けて逃走図ったこのあと一時間半にわたって逃走劇は続き、両艦隊砲火を交えながら東へ疾走したシャルンホルストは2基の副砲使用不能にされ、デューク・オブ・ヨークもレーダーマストを吹き飛ばされた。 砲戦開始時には11000mだった両艦隊の距離は1820時過ぎには約20000m近くにまで開いていた。デューク・オブ・ヨーク付き従う軽巡ジャマイカ砲撃中止しシャルンホルスト逃げ切る可能性出てきたその時デューク・オブ・ヨーク14インチ砲弾シャルンホルスト命中し第一機関室破壊したそれまで30ノット上の高速逃走していたシャルンホルスト一気10ノット程度にまで速度落ちたダメージコントロール迅速速度22ノットまで回復したが、この間に距離を詰めてきた英駆逐艦ソーマレスら4隻がシャルンホルストからの砲撃に耐えながら雷撃敢行、4本が命中した再度足が止まったシャルンホルストに対してデューク・オブ・ヨーク以下は1901時から射撃再開し続けて巡洋艦駆逐艦からの雷撃受けた主砲弾をほとんど撃ち尽くすまで戦ったシャルンホルストだったが、海戦通じて13発の14インチ砲弾多数中小口径弾、そして11本以上の魚雷浴び1945時に沈没した。 冬の荒天北海の低水温のため、シャルンホルスト乗員1968名のうち36名が救助されたのみである。なお、英駆逐艦スコーピオンは、「シャルンホルスト艦長司令官重傷負って浮いているのを発見したが、救助する間もなく沈んだ」と報告している。海戦後フレーザー大将デューク・オブ・ヨークにおいて、将校たちに「紳士諸君シャルンホルストとの戦いは我々の勝利終わった。私は君たち誰かが戦力が倍以上ちがう相手と戦うことを要求された時、艦をシャルンホルストと同じぐらい立派に指揮することを望む。」と訓示した。

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