第一次昼戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:04 UTC 版)
17時前後、第五戦隊と合同中の第二水雷戦隊は、150度方向に敵らしき檣を認めた。一方で連合軍艦隊も先頭を行く英駆逐艦のエレクトラが『戦艦2隻を含む艦隊発見』を報じ(スラバヤ出撃後約30分)、すぐに巡洋艦2隻と駆逐艦12隻の日本艦隊と判明した。連合軍艦隊士官の証言によれば、那智と羽黒には気付いていなかったという。両軍とも直ちに戦闘速度に増速し、敵艦隊方向へと互いに針路を取った。17時30分以降、神通から1機、那智、羽黒から各2機(合計5機)の弾着観測機が射出された。この間、高木司令は第五戦隊直衛の駆逐艦4隻(潮、漣、山風、江風)を臨時に二水戦に派遣し、二水戦司令官の指揮下で行動するよう命じた。軽巡1隻・駆逐艦8隻となった第二水雷戦隊は単縦陣を形成し、那智、羽黒より敵艦隊に近い航路をとる。 海戦はスラバヤ北西約30マイル(48km)の海域ではじまった。日本艦隊は連合軍艦隊に対して右から左へ斜めに前を横切るいわば「T字戦法」を取ろうとしたが、これを嫌ったドールマン少将は艦隊針路をやや左に変針して、日本軍と同航砲戦を取る形とした。17時45分、まず神通が距離約17,000mで初弾を発砲。これらは連合軍艦隊先頭を行く英駆逐艦3隻を挟叉したが命中弾は得られなかった。英駆逐艦群も撃ち返すが、搭載していた12センチ砲には距離が遠すぎて日本艦隊へまともに届かなかった。二水戦が攻撃を始めている間に那智、羽黒は連合軍艦隊へ針路を並行とし、距離26,000mで砲撃を開始。これに対して17時48分、連合軍艦隊の巡洋艦部隊が反撃を開始、最も近距離の二水戦に向かって砲撃を始めた。実際にはABDA艦隊の方が先に射撃を開始、那智、羽黒にそれぞれ至近弾になったという。またエンカウンター、ジュピター、エレクトラは魚雷を発射し、日本艦隊に命中したと錯覚した。初弾から挟叉を浴びた二水戦司令田中頼三少将は形勢不利と判断。17時50分、神通は煙幕を展張して離脱を図り、二水戦は一旦戦域からの避退針路を取った。 この頃、10機のカーチスP-40戦闘機と3機のA-24急降下爆撃機(SBDドーントレス急降下爆撃機の陸軍型)が戦場に到着、交戦中の日本艦隊を無視し、その北方にいた輸送船団を攻撃して撃沈3隻を主張した(実際は損害なし)。仮にP-40が日本軍水上観測機を撃墜していた場合、海戦の展開は変わった可能性がある。一方、日本艦隊にも増援が加わった。第四水雷戦隊(四水戦)が戦域に到着し、連合軍艦隊を巡洋艦4隻、駆逐艦2隻と判断、一挙に南下すると第五戦隊や二水戦の前方を突っ切って接近戦を仕掛けた。中村悌次(当時、夕立水雷長)によると、『デ・ロイテルがまるで戦艦のように見えた』と回想している。中村水雷長の話によれば、第四水雷戦隊は遠距離から魚雷を発射して主力(第五戦隊)の方向に敵艦隊を誘致し、続いて突撃して決戦を挑むという企図だったという。1804に那珂は魚雷発射、四水戦駆逐隊は那珂よりさらに敵艦隊に接近して魚雷を発射、四水戦は計27本を発射。神通は1805に四水戦の外側から魚雷4本を発射、それぞれ煙幕を展張し避退する。しかしこれらは一本も命中せず、さらにこのうち1/3が航走中に自爆してしまった。これは九三式魚雷の信管が鋭敏すぎたため波の衝撃で反応したためである。この爆発による長巨大水柱を日本軍は連合軍敷設の機雷の爆発と考えたため、接近戦戦法を取るのを諦めた。戦艦の砲弾による水柱のようにも見えたという。那珂は「敵巡洋艦3隻撃沈ス、船団ハ予定ノゴトク行動セヨ」、神通は「本艦魚雷、二・三番艦に命中」と味方艦隊に通知した。一方で那智、羽黒は連合軍艦隊との距離を維持し、砲撃を続けつつ18時22分、羽黒は魚雷8本を隠密発射した。那智はヒューマンエラーにより魚雷を発射できなかった。 両軍は命中しない砲撃と雷撃戦を展開しながら西方へ航行し、次第に日本軍輸送船団に近づいていった。第五戦隊は「昼戦で敵を適宜誘致しながら夜戦に突入し、優れた魚雷力で一挙に敵を撃滅するつもりだった」と述べている。18時35分、それまで両軍の砲弾は殆どがはずれ、何発か命中してた日本艦隊の弾も不発弾だったが、おそらく羽黒の20cm砲弾がエクセターの機関部に命中して炸裂。これがエクセターの缶室8基のうち6基を破壊し、エクセターは速力11ノットとなる。エクセターは単陣形を維持できなくなったため左に転舵、すると続航していたアメリカの重巡ヒューストンはエクセターの運動をドールマン提督の命令によるものと判断して取舵をとり、豪重巡パースも従った。先頭を航行していた旗艦(蘭軽巡)デ・ロイテルは孤立しかけ、南に変針するなど、連合軍艦隊の隊列が混乱した。原(天津風艦長)は魚雷の回避運動と見ていたが、実際は混成艦隊ゆえの陣形混乱だったのである。そこへ、先ほど羽黒が放った魚雷8本が到達し、このうち一本が蘭駆逐艦コルテノールに命中する。この魚雷攻撃は、後述の第四水雷戦隊の魚雷の可能性もある。また遠山(当時海軍中佐、第二水雷戦隊首席参謀)は、神通の砲撃による撃沈と回想している。コルテノールはV字型に折れ轟沈した。ここで混成艦隊は日本の潜水艦が近くに居るものと錯覚し、隊列を乱して遁走を始めた。ABDA艦隊の混乱を見たドールマン少将は一旦戦場を離脱し、体勢を立て直すことを決断する。艦隊の針路を南東へ向け、戦域離脱を図った。神通の砲撃開始より約50分が経過、日本艦隊は20cm砲弾1271発、14cm砲171発、魚雷39本を消費した。
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