第一次来航とは? わかりやすく解説

第一次来航(1853年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「第一次来航(1853年)」の解説

ペリー日本開国させるためには軍事的な威嚇が必要と考えたこのため、5隻の蒸気船を含む13隻の艦隊編成することを計画した。しかし、実際に使用可能な蒸気船は3隻だけであり、そのうち1隻(ポーハタン)は出港遅れたため第一次遠征には間に合わなかった。結果として第一次日本遠征は2隻の蒸気フリゲートサスケハナおよび ミシシッピ)、2隻の帆走スループサラトガおよびプリマス)の4隻という小規模なものになった1853年7月8日嘉永6年6月3日)、ペリー艦隊浦賀入港した7月14日6月9日)、幕府側が指定した久里浜護衛引き連れ上陸戸田氏栄井戸弘道開国促すフィルモア大統領親書提督信任状覚書などを手渡した幕府将軍徳川家慶病気であって決定できないとして、返答1年猶予要求したため、ペリー返事聞く為、1年後再来航する告げた艦隊6月12日同年7月17日)に江戸離れ一旦香港帰った。 このペリー来航前年オランダ風説書予告されており、9隻の艦名記されている。さらには陸兵および攻城兵器搭載しているとの噂も含まれていた。オランダ米国軍事的圧力によって開国させられるより、オランダ平和的に外交関係を結ぶべきと幕府訴えたが、これは無視された。 艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲サスケハナSusquehanna 蒸気外輪フリゲート 1850年 積載量2450トンbmトン排水量3824英トン 300 420NHP795IHP 150ポンドパロット砲x29インチダールグレン砲x1212ポンド砲x1 ミシシッピMississippi 蒸気外輪フリゲート 1841年 積載量1692トンbmトン排水量3220英トン 260 434NHP650IHP 10インチペクサン砲x88インチペクサン砲x2 サラトガSaratoga 帆走スループ 1843年 積載量882トンbmトン2608インチ砲x432ポンドx18 プリマスPlymouth 帆走スループ 1844年 積載量989トンbmトン2608インチ砲x832ポンドx18

※この「第一次来航(1853年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
「第一次来航(1853年)」を含む「幕末の砲艦外交」の記事については、「幕末の砲艦外交」の概要を参照ください。

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