第一次来航(1853年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「第一次来航(1853年)」の解説
ペリーは日本を開国させるためには軍事的な威嚇が必要と考えた。このため、5隻の蒸気船を含む13隻の艦隊を編成することを計画した。しかし、実際には使用可能な蒸気船は3隻だけであり、そのうち1隻(ポーハタン)は出港が遅れたため第一次の遠征には間に合わなかった。結果として、第一次の日本遠征は2隻の蒸気フリゲート(サスケハナおよび ミシシッピ)、2隻の帆走スループ(サラトガおよびプリマス)の4隻という小規模なものになった。 1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、ペリー艦隊は浦賀に入港した。7月14日(6月9日)、幕府側が指定した久里浜に護衛を引き連れ上陸、戸田氏栄・井戸弘道に開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡した。幕府は将軍徳川家慶が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。艦隊は6月12日(同年7月17日)に江戸を離れ一旦香港へ帰った。 このペリー来航は前年のオランダ風説書で予告されており、9隻の艦名も記されている。さらには陸兵および攻城兵器を搭載しているとの噂も含まれていた。オランダは米国の軍事的圧力によって開国させられるより、オランダと平和的に外交関係を結ぶべきと幕府に訴えたが、これは無視された。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲サスケハナSusquehanna 蒸気外輪フリゲート 1850年 積載量2450トン(bmトン)排水量3824英トン 300 420NHP795IHP 150ポンドパロット砲x29インチダールグレン砲x1212ポンド砲x1 ミシシッピMississippi 蒸気外輪フリゲート 1841年 積載量1692トン(bmトン)排水量3220英トン 260 434NHP650IHP 10インチペクサン砲x88インチペクサン砲x2 サラトガSaratoga 帆走スループ 1843年 積載量882トン(bmトン) 260 無 8インチ砲x432ポンド砲x18 プリマスPlymouth 帆走スループ 1844年 積載量989トン(bmトン) 260 無 8インチ砲x832ポンド砲x18
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