第一次朝鮮戦役(1627年)
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「明清交替」の記事における「第一次朝鮮戦役(1627年)」の解説
詳細は「丁卯胡乱」を参照 国・勢力指導者状況・目的後金 アミン、ジルガラン、アジゲ等 朝鮮王朝を攻撃。勝利 朝鮮王朝 仁祖、李立等 後金の攻撃を防衛。敗北 明 毛文龍 朝鮮王朝に協力。敗北 後金は明からの物資を輸入できないため食糧難となり、ホンタイジは資源を得るために姜弘立と李永芳の案内で朝鮮王朝を攻撃した。後金軍は3万の部隊と、アミン(英語版)(阿敏)、弟のアジゲ(英語版)(阿済格)、ヌルハチの弟の息子であるジルガラン(済爾哈朗)、ヌルハチの孫であるヨト(中国語版)(岳託)を派遣した。後金は国境の要塞で厳しい抵抗にあったこれを破り、明の武将毛文龍が駐屯する義州に進軍し、毛は従兵と渤海に逃げた。次に後金は安州市を攻撃し、安州の防衛部隊は敗戦が明らかになると、火薬庫を爆破して自殺した。平壌は戦わずして陥落し、後金軍は大同江を渡った。朝鮮王朝の王である仁祖は漢城から江華島に逃げ、講和を交渉する代表を派遣した。後金と朝鮮王朝は和議を結び、後金は朝鮮王朝に対して交易場の設置や礼物の献上を求め、物資不足が解消された。逃亡した毛文龍は椵島(中国語版)(皮島)で勢力を保ち、明と朝鮮に物資を求めたり商税を集めて繁栄したが、後金と協力しようとして明に誘殺された。
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