海戦時の司令・艦長らのその後とは? わかりやすく解説

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海戦時の司令・艦長らのその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:44 UTC 版)

7月5日の海戦 (1942年)」の記事における「海戦時の司令・艦長らのその後」の解説

1942年昭和17年7月5日時点で、第18駆逐隊駆逐隊司令宮坂義登大佐司令駆逐艦不知火)、不知火駆逐艦長赤澤次壽雄中佐駆逐艦長戸村中佐陽炎駆逐艦長有本輝美中佐駆逐艦長緒方友兄中佐であった宮坂司令短剣自殺はかったが、千代田収容され一命とりとめた7月14日附で宮坂大佐は第18駆逐隊司令職を解かれた(7月28日附で呉鎮守府附)。翌1943年昭和18年3月20日宮坂阿部弘毅少将第三次ソロモン海戦時、第十一戦隊司令官)、西田正雄大佐戦艦比叡沈没艦長)達と共に予備役へ編入即日召集された。 不知火駆逐艦長赤澤中佐は、建造中の秋月型駆逐艦涼月艤装員長任命され竣工と共に同艦初代駆逐艦長となった1944年昭和19年1月10日涼月艦長退任したあと、3月20日附で第10駆逐隊司令任命される6月8日司令駆逐艦夕雲型)風雲が米ガトー級潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) に撃沈された時、赤澤戦死した陽炎駆逐艦長有本中佐は、その後陽炎艦長としてガダルカナル島の戦い従事した1943年昭和18年5月8日、第15駆逐隊親潮黒潮陽炎)が機雷によって3隻とも沈没すると、6月1日附で陽炎駆逐艦長の任を解かれた。 駆逐艦長戸村中佐8月20日附で朝潮型駆逐艦満潮艦長任命された。その後駆逐艦谷風艦長重巡洋艦摩耶副長経て1944年昭和19年2月15日からは第6駆逐隊司令となる。かつて曳航し駆逐艦電が6月11日アメリカ潜水艦ボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) の雷撃撃沈された時も、第6駆逐隊司令であった駆逐艦長緒方中佐7月31日附で駆逐艦長職務解かれ、第56駆潜隊司令経て翌年4月より軽巡洋艦木曾副長となりキスカ島撤退作戦参加した同年10月18日より秋月型駆逐艦秋月二代目駆逐艦長等を歴任した

※この「海戦時の司令・艦長らのその後」の解説は、「7月5日の海戦 (1942年)」の解説の一部です。
「海戦時の司令・艦長らのその後」を含む「7月5日の海戦 (1942年)」の記事については、「7月5日の海戦 (1942年)」の概要を参照ください。

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