比叡沈没とは? わかりやすく解説

比叡沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:07 UTC 版)

第三次ソロモン海戦」の記事における「比叡沈没」の解説

詳細は「比叡 (戦艦)」を参照 日本軍挺身艦隊旗艦戦艦比叡鎮火には成功したものの、サボ島北の海域を離脱できずにいた。舵が固定しないため直進できず、僚艦霧島北方退避したために、単艦で旋回運動繰り返していた。午前4時ごろ、重巡ポートランド主砲発射し実際に命中しなかったが撃沈した信じた阿部は、霧島駆逐艦に対して日没後に比叡曳航せよ」と命じる。駆逐艦雪風最初に到着すると、阿部司令官は比叡から雪風移乗した。やがて駆逐艦4隻(照月時雨白露夕暮相次いで到着護衛行いつつ、比叡曳航しよう試みた周囲明るくなると、アメリカ軍比叡とどめをさすため次々航空部隊送り込んだ阿部司令官達が夜明け前上空掩護要請すると、午前3時20分に空母隼鷹から零戦6機、九九艦爆2機(誘導機)が発進し比叡の上空に急行した。この日、隼鷹延べ23機の零戦艦爆3機、艦攻5機を直掩任務におくりだし、5機の零戦失っている。零戦隊に加え水上機母艦讃岐丸から飛来し水上機数機も比叡警戒あたった一方でブナ基地から第二四空零戦6機が出撃していたが、天候不良理由ラモス上空引き返している。千歳隊の水上偵察機6機も、天候不良のため基地戻った第七〇五空の一式陸攻零戦隊を誘導しているが、その後戦果不明日本軍航空戦力足並み揃わない中、F4Fワイルドキャット戦闘機SBD ドーントレス急降下爆撃機雷撃機B-17による空襲はじまった比叡機関部異常な全力発揮可能だったが、舵故障では回避行動ままならない直掩隼鷹零戦隊も、10未満のためにF4F隊との空戦手一杯で、アメリカ軍機を排除できない爆弾命中弾による被害同時に回避行動対空戦闘のたびに応急修理中断され比叡操艦能力回復しなかった。最終手段として指揮官達は比叡ガダルカナル島座礁させることも検討したが、操艦不能のためそれも不可能だった。 偶然もアメリカ軍味方した。「ヘンダーソン飛行場進出せよ」という命令を受け、魚雷抱いたまま空母エンタープライズ発進した10雷撃隊(F4F6機、TBFアベンジャー9機)は、サボ島16km北にいた比叡駆逐艦4隻を発見した雷撃隊は二手にわかれると、比叡挟み撃ちにした。同隊は比叡左舷魚雷1本、右舷に1本、艦尾に1本が命中する光景目撃した日本側は、比叡右舷中部後部魚雷計2本が命中した記録している。エンタープライズによれば、8機の零戦比叡上空にいたが雷撃妨害しようとせず、F4F隊は全く交戦しなかったという。エンタープライズ隊はヘンダーソン基地着陸すると、3時間後にTBF6機が再出撃した。今度米海兵隊F4F6機、SBD8機が同行する混成攻撃隊は比叡右舷魚雷1本、艦尾に1本、左舷3本不発2本)の命中記録している。比叡黒煙をあげ、完全に停止したとされる一方で比叡戦闘詳報によれば沈没寸前まで機関部健在だった記録している。 阿部中将司令部移した駆逐艦雪風には戦艦用の大きな中将旗マスト掲げられた為、敵機目標となった雪風至近弾によって汽缶亀裂入り発電機故障して最大速力発揮不可となった他、爆弾破片頭部受けた白戸水雷長が重体となった時雨以下各艦も損害累加ていった午後3時ブイン基地発進した空母飛鷹航空隊零戦9機)が到着したが、手遅れだった。午後4時阿部司令官は比叡処分指示したが、40分後に山本長官より比叡処分待て命令午後2時40分発、午後4時38分着)が届いた。この時、雪風比叡魚雷発射していたという説もある。ただし戦闘詳報には魚雷発射記録はない。また阿部雷撃処分命じたのは第二十七駆逐隊時雨白露夕暮)であり、雪風では白戸水雷長が比叡護衛中頭部負傷し重体雷撃処分指令受理できる状況ではなかった(白戸水雷長はこの負傷により終戦後まもなく逝去)。比叡西田正雄艦長総員退去キングストン弁開放命令発令した比叡乗組員周囲警戒していた駆逐艦5隻に分乗した。その後、5隻(雪風照月時雨白露夕暮)はガダルカナル砲撃に向かう外南洋部隊支援隊と同士撃ち陥るのを避けるため、一旦西方に退避西田艦長戦闘詳報草稿として作成したメモ第三次ソロモン海戦から一週間後の11月20日作成)に「雪風収容された後、GF司令部から「比叡処分待て」の命令があり、それならば比叡帰還すべきと申し出た許されず、遂に比叡そのままにして海域離れた」とあり、比叡雷撃処分中止されたと記録されている。夜になって山本長官より「比叡人員救助して北方離脱せよ」との命令があった。5隻は比叡放棄した海域戻った比叡の姿はなく、すでに沈没したものと判断したまた、同じく比叡沈んだかどうか確認と、沈んでない場合雷撃処分を行うべく、ショートランド向かっていた伊16比叡放棄され海域到着したが、やはり比叡の姿を見つけることはなかった。5隻の駆逐艦本隊合同すべく北上し13日午後10時合流した

※この「比叡沈没」の解説は、「第三次ソロモン海戦」の解説の一部です。
「比叡沈没」を含む「第三次ソロモン海戦」の記事については、「第三次ソロモン海戦」の概要を参照ください。

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