ゴットランド島沖海戦とは? わかりやすく解説

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ゴットランド島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 08:44 UTC 版)

ゴットランド島沖海戦は、第一次世界大戦中の1915年7月2日バルト海で生起した海戦ドイツ海軍ロシア海軍が交戦した。

ドイツの敷設巡洋艦アルバトロスと小型巡洋艦アウクスブルク、水雷艇3隻が機雷敷設を終えて帰投途中にミハイル・バーヒレフ少将率いるロシアの装甲巡洋艦アドミラル・マカロフ、バヤーン、防護巡洋艦オレーク、ボガトィーリの攻撃受け、アルバトロスは大きな損害を受けてゴットランド島に座礁した。続いて、海戦前にアルバトロスなどと分かれていたドイツの装甲巡洋艦ローン、小型巡洋艦リューベックが到着し、ロシアの巡洋艦と交戦した。その後今度はロシアの装甲巡洋艦リューリクが現れドイツの巡洋艦と交戦した。

海戦発生を受けてドイツの装甲巡洋艦プリンツ・アーダルベルトプリンツ・ハインリヒが出撃したが、プリンツ・アーダルベルトはイギリス潜水艦E9に雷撃され損傷した。

海戦前

1915年6月にバルト海のドイツ軍は攻勢機雷戦を開始することを決定し、その実施のため敷設巡洋艦アルバトロスと機雷敷設艦に改装されたフェリー、ドイチュラントの2隻の増援を得た。そして、6月中にアルバトロスは2度の機雷敷設を行った。6月30日、アルバトロスは装甲巡洋艦ローン、水雷艇5隻とともに再び出撃し、機雷敷設に向かった。途中で小型巡洋艦アウクスブルクとリューベック、水雷艇2隻と合流し、Bogskär島沖に160個の機雷を敷設。敷設完了後ドイツ軍は帰路につき、7月2日6時にローンとリューベック、水雷艇4隻がリーバウへ向け分派され、アルバトロスなどはゴットランド島南端方面へ向かった。

このとき、ロシア艦隊もメーメル砲撃を目的として出撃していた。出撃したのは第1巡洋艦旅団の装甲巡洋艦アドミラル・マカロフ、バヤーン、リューリク、防護巡洋艦オレーク、ボガトィーリと駆逐艦ノヴィークであった。他に第2水雷隊も出撃予定であったが霧のため遅れたため引き返させられた。ロシア艦隊を率いるのはミハイル・バーヒレフ少将であった。出撃後ロシア艦隊は濃霧に遭遇し、リューリクとノヴィークは他の艦と離れてしまった。7月2日、バーヒレフはドイツ艦隊に関する情報を得、ドイツ艦隊が存在すると思われる場所へと向かった。

海戦経過

海戦の図(赤がロシア、青がドイツ)

ロシア第1巡洋艦旅団はアルバトロスおよびアウクスブルクと出会い、7月2日6時32分に砲撃を開始した。6時53分にドイツ側の指揮官Johannes Karpfは巡洋艦と水雷艇だけでも救おうと左に舵を切り、ロシア艦隊の前を横切って南へ向かった。一方、アルバトロスにはスウェーデン領海内へと逃げ込むよう命じた。ロシア側はアウクスブルクは追跡せず、全艦アルバトロスを攻撃した。アルバトロスは西へ向かい、7時45分にゴットランド島のスウェーデン領海内へ入って砲撃を停止した。だが、ロシア側はそれ以降もしばらく砲撃を続行した。アルバトロスには8インチ砲弾6発と6インチ砲弾20発が命中し、また不発弾4発が後に発見された。死者は27名であった。アルバトロスは転覆を避けるため座礁させられた。

砲撃停止後ロシアの巡洋艦は北へ向かったが、そこにKarpfからの通信を受けて駆けつけたローンとリューベックが南方から現れた。9時過ぎにローンが砲撃を開始し、両軍はしばらく交戦したが、ロシア艦隊の動きがドイツ側をより強力な部隊の元へ誘引しているように思えたことやアウクスブルクの所在が不明であったことから9時22分にローンは砲撃を停止して反転し、リューベックもそれに続いた。ロシア側も弾薬不足のため戦闘を続ける意思は無く北東へ向かった。この交戦中バヤーンに21cm砲弾1発が命中した。

9時30分、リューベックが東に煙を発見。リューベックはその方向に向かったがそれはリューリクであった。リューベックとリューリクは戦闘を開始し、15分後にはローンも戦闘加わった。またアウクスブルクもローンと合流した。リューベックは戦闘離脱が命じられ、10時4分に砲撃を停止。Karpfは強力な敵との戦闘を継続するつもりは無く、10時20分に海戦は終了した。リューリクも10時50分に旗艦に呼び戻された。このときの戦闘ではリューリクが多数の命中弾を受けた。

なお、他の艦と合流できなかったノヴィークはイルベ海峡へ向かいそこで停泊した。

海戦後

大破座礁した「アルバトロス(SMS Albatross)」。

海戦発生を受けてドイツの装甲巡洋艦プリンツ・アーダルベルトとプリンツ・ハインリヒ、水雷艇2隻がダンツィヒから出撃した。だが、Rixhöft北東でプリンツ・アーダルベルトがイギリス潜水艦E9の雷撃を受け損傷。プリンツ・アーダルベルトは最初はスヴィネミュンデへ向かったが、途中で目的地を修理設備のあるキールに変更し、7月4日にキールに着いた。

アルバトロスはスウェーデンに抑留された。

脚注

参考文献

  • Gary Staff, Battle on the Seven Seas: German Cruiser Battles 1914-1918, Pen & Sword Maritime, 2011, ISBN 978-1-84884-182-6

ゴットランド島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:50 UTC 版)

リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「ゴットランド島沖海戦」の解説

詳細は「ゴットランド島沖海戦」を参照 1915年5月7日エッセン提督病を得急逝したため、5月14日 付けV・A・カーニン海軍中将バルト艦隊司令官任官した。カーニン司令官は、フィンランド湾オーボオーランド海域、ムフ海峡、それにリガ湾防備固めるため、沿岸砲台と要塞整備するとともに海上機雷封鎖強化する方針を採った。 しかし、ドイツ人ロシア人思っていたよりずっと賢かった。彼らは、ロシア出てくる前にロシア海域「プレゼント」を贈ることにした。すなわち、160 個の機雷搭載した機雷巡洋艦アルバトロス出撃させたのである6月19日ロシア艦隊メーメル砲撃敵艦撃滅のため出撃した。バーヒレフ海軍少将リューリク乗艦し、第1巡洋艦戦隊アドミラール・マカーロフ、バヤーン、リューリク直衛の艦隊水雷艇ノヴィーク、第6艦隊水雷艇隊のトゥルクメーネツ=スタヴロポーリスキイ、カザーネツ、ストラーシュヌイ、ステレグーシチイ、ザバイカーレツ、ウクライナ、ヴォイスコヴォーイ、加えて後衛戦列艦スラヴァスラヴァ巡洋艦ボガトィーリとオレーク、第7艦隊水雷艇隊のブジーテリヌイ、ボエヴォーイ、ブールヌイ、インジェネール=メハニーク・ドミートリエフ、インジェネール=メハニーク・ズヴェーレフ、ヴニマーテリヌイ、ヴヌシーテリヌイ、ヴィノスリーヴイ が作戦携わった。さらに、各海域潜水艦配置された。この海域展開した潜水艦は、イギリスE9ロシア潜水艦マクレーリとオークニであった。しかし、発生という悪天候のため、第6艦隊水雷艇隊は出撃見送ったのため、ロシア艦隊ドイツ艦隊行き違いになり、敵を発見できなかった。これが、新司令官にとって最初誤算となった艦隊水雷艇による哨戒線が展開されていればドイツ艦隊メーメルに向かうロシア艦隊背後フィンランド湾侵入する前にそれらを発見することができたであろう20日 深夜ロシアの第1巡洋艦戦隊は、無線傍受によってドイツ機雷敷設部隊発見し、これを追撃したドイツ艦隊は、機雷巡洋艦アルバトロスとその護衛大型巡洋艦ローン小型巡洋艦アウクスブルクリューベックおよび4 隻の大型水雷艇に3 隻の航洋水雷艇からなっていた。旗艦アウクスブルクは、ローンリューベックロシア艦隊迎撃命じて南方撤退開始したロシア艦隊限られた好機生かすことができず、またロシア巡洋艦隊は戦前には華麗な砲術披露していたのに、この海戦での砲撃対馬海戦Z・P・ロジェストヴェーンスキイ艦隊並み水準になったアドミラール・マカーロフ、バヤーン、オレーク、ボガトィーリの持てる半分弾薬消費して辛うじてアルバトロス座礁追い込むことができた。ボガトィーリとオレークの攻撃受けたアルバトロスは、撃沈を防ぐため自ら中立国スウェーデン沿岸部船体乗り上げたのである一方最初海戦が行われていた頃、リューリク随伴する艦隊水雷艇ノヴィークとともに一晩中連れ艦隊見失って付近探し回っていた。19日のうちにノヴィークは引き上げてしまったため、リューリク単独先行する第1巡洋艦戦隊単独で追う形となった。 第1巡洋艦戦隊フィンランド湾へ引き返す頃合を見つつなおもドイツ艦隊への追撃止めなかったが、ローンリューベック、2 隻の大型水雷艇と2 隻の航洋水雷艇からなるドイツ艦隊は、救援求めつつこれを迎撃した。そして、ドイツ艦隊はるかに強力なロシア巡洋艦隊の追撃を交わすことに成功した様々な不利な条件重なったとはいえロシア艦隊はまったくの不首尾演ずることとなった。このふたつの戦闘は、のちに長年わたって多く軍人研究家から批判される材料となった。 第2の戦闘において、リューリクローンとのあいだで一騎討ちとなったリューリクあらゆる性能においてローン凌駕しておりその勝利は確実であり、砲撃によってローン命中弾を与えたが、付近に潜水艦潜望鏡発見されたため已む無く戦場から撤収したこのためローン辛くも無傷にて残ったリューリクローンとの対決粘り強さ発揮せず、最初勝利を手にしなかったことについては、後世から低く評価されている。救援駆けつけ大型巡洋艦プリンツ・アーダルベルトプリンツ・ハインリヒ戦闘に間に合わずなおかつプリンツ・アーダルベルトイギリス潜水艦E9による雷撃受けて大破した

※この「ゴットランド島沖海戦」の解説は、「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の解説の一部です。
「ゴットランド島沖海戦」を含む「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事については、「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の概要を参照ください。

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