ゴットランド島沖海戦
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ゴットランド島沖海戦は、第一次世界大戦中の1915年7月2日にバルト海で生起した海戦。ドイツ海軍とロシア海軍が交戦した。
ドイツの敷設巡洋艦アルバトロスと小型巡洋艦アウクスブルク、水雷艇3隻が機雷敷設を終えて帰投途中にミハイル・バーヒレフ少将率いるロシアの装甲巡洋艦アドミラル・マカロフ、バヤーン、防護巡洋艦オレーク、ボガトィーリの攻撃受け、アルバトロスは大きな損害を受けてゴットランド島に座礁した。続いて、海戦前にアルバトロスなどと分かれていたドイツの装甲巡洋艦ローン、小型巡洋艦リューベックが到着し、ロシアの巡洋艦と交戦した。その後今度はロシアの装甲巡洋艦リューリクが現れドイツの巡洋艦と交戦した。
海戦発生を受けてドイツの装甲巡洋艦プリンツ・アーダルベルトとプリンツ・ハインリヒが出撃したが、プリンツ・アーダルベルトはイギリス潜水艦E9に雷撃され損傷した。
海戦前
1915年6月にバルト海のドイツ軍は攻勢機雷戦を開始することを決定し、その実施のため敷設巡洋艦アルバトロスと機雷敷設艦に改装されたフェリー、ドイチュラントの2隻の増援を得た。そして、6月中にアルバトロスは2度の機雷敷設を行った。6月30日、アルバトロスは装甲巡洋艦ローン、水雷艇5隻とともに再び出撃し、機雷敷設に向かった。途中で小型巡洋艦アウクスブルクとリューベック、水雷艇2隻と合流し、Bogskär島沖に160個の機雷を敷設。敷設完了後ドイツ軍は帰路につき、7月2日6時にローンとリューベック、水雷艇4隻がリーバウへ向け分派され、アルバトロスなどはゴットランド島南端方面へ向かった。
このとき、ロシア艦隊もメーメル砲撃を目的として出撃していた。出撃したのは第1巡洋艦旅団の装甲巡洋艦アドミラル・マカロフ、バヤーン、リューリク、防護巡洋艦オレーク、ボガトィーリと駆逐艦ノヴィークであった。他に第2水雷隊も出撃予定であったが霧のため遅れたため引き返させられた。ロシア艦隊を率いるのはミハイル・バーヒレフ少将であった。出撃後ロシア艦隊は濃霧に遭遇し、リューリクとノヴィークは他の艦と離れてしまった。7月2日、バーヒレフはドイツ艦隊に関する情報を得、ドイツ艦隊が存在すると思われる場所へと向かった。
海戦経過

ロシア第1巡洋艦旅団はアルバトロスおよびアウクスブルクと出会い、7月2日6時32分に砲撃を開始した。6時53分にドイツ側の指揮官Johannes Karpfは巡洋艦と水雷艇だけでも救おうと左に舵を切り、ロシア艦隊の前を横切って南へ向かった。一方、アルバトロスにはスウェーデン領海内へと逃げ込むよう命じた。ロシア側はアウクスブルクは追跡せず、全艦アルバトロスを攻撃した。アルバトロスは西へ向かい、7時45分にゴットランド島のスウェーデン領海内へ入って砲撃を停止した。だが、ロシア側はそれ以降もしばらく砲撃を続行した。アルバトロスには8インチ砲弾6発と6インチ砲弾20発が命中し、また不発弾4発が後に発見された。死者は27名であった。アルバトロスは転覆を避けるため座礁させられた。
砲撃停止後ロシアの巡洋艦は北へ向かったが、そこにKarpfからの通信を受けて駆けつけたローンとリューベックが南方から現れた。9時過ぎにローンが砲撃を開始し、両軍はしばらく交戦したが、ロシア艦隊の動きがドイツ側をより強力な部隊の元へ誘引しているように思えたことやアウクスブルクの所在が不明であったことから9時22分にローンは砲撃を停止して反転し、リューベックもそれに続いた。ロシア側も弾薬不足のため戦闘を続ける意思は無く北東へ向かった。この交戦中バヤーンに21cm砲弾1発が命中した。
9時30分、リューベックが東に煙を発見。リューベックはその方向に向かったがそれはリューリクであった。リューベックとリューリクは戦闘を開始し、15分後にはローンも戦闘加わった。またアウクスブルクもローンと合流した。リューベックは戦闘離脱が命じられ、10時4分に砲撃を停止。Karpfは強力な敵との戦闘を継続するつもりは無く、10時20分に海戦は終了した。リューリクも10時50分に旗艦に呼び戻された。このときの戦闘ではリューリクが多数の命中弾を受けた。
なお、他の艦と合流できなかったノヴィークはイルベ海峡へ向かいそこで停泊した。
海戦後

海戦発生を受けてドイツの装甲巡洋艦プリンツ・アーダルベルトとプリンツ・ハインリヒ、水雷艇2隻がダンツィヒから出撃した。だが、Rixhöft北東でプリンツ・アーダルベルトがイギリス潜水艦E9の雷撃を受け損傷。プリンツ・アーダルベルトは最初はスヴィネミュンデへ向かったが、途中で目的地を修理設備のあるキールに変更し、7月4日にキールに着いた。
アルバトロスはスウェーデンに抑留された。
脚注
参考文献
- Gary Staff, Battle on the Seven Seas: German Cruiser Battles 1914-1918, Pen & Sword Maritime, 2011, ISBN 978-1-84884-182-6
ゴットランド島沖海戦
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「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「ゴットランド島沖海戦」の解説
詳細は「ゴットランド島沖海戦」を参照 1915年5月7日 にエッセン提督が病を得て急逝したため、5月14日 付けでV・A・カーニン海軍中将がバルト艦隊司令官に任官した。カーニン司令官は、フィンランド湾やオーボ=オーランド海域、ムフ海峡、それにリガ湾の防備を固めるため、沿岸砲台と要塞を整備するとともに海上の機雷封鎖を強化する方針を採った。 しかし、ドイツ人はロシア人が思っていたよりずっと賢かった。彼らは、ロシアが出てくる前にロシアの海域へ「プレゼント」を贈ることにした。すなわち、160 個の機雷を搭載した機雷巡洋艦アルバトロスを出撃させたのである。 6月19日、ロシア艦隊はメーメル砲撃と敵艦隊撃滅のため出撃した。バーヒレフ海軍少将がリューリクへ乗艦し、第1巡洋艦戦隊のアドミラール・マカーロフ、バヤーン、リューリク直衛の艦隊水雷艇ノヴィーク、第6艦隊水雷艇隊のトゥルクメーネツ=スタヴロポーリスキイ、カザーネツ、ストラーシュヌイ、ステレグーシチイ、ザバイカーレツ、ウクライナ、ヴォイスコヴォーイ、加えて後衛の戦列艦スラヴァとスラヴァ、巡洋艦ボガトィーリとオレーク、第7艦隊水雷艇隊のブジーテリヌイ、ボエヴォーイ、ブールヌイ、インジェネール=メハニーク・ドミートリエフ、インジェネール=メハニーク・ズヴェーレフ、ヴニマーテリヌイ、ヴヌシーテリヌイ、ヴィノスリーヴイ が作戦に携わった。さらに、各海域に潜水艦が配置された。この海域に展開した潜水艦は、イギリスのE9、ロシアの潜水艦マクレーリとオークニであった。しかし、霧の発生という悪天候のため、第6艦隊水雷艇隊は出撃を見送った。 霧のため、ロシア艦隊はドイツ艦隊と行き違いになり、敵を発見できなかった。これが、新司令官にとって最初の誤算となった。艦隊水雷艇による哨戒線が展開されていれば、ドイツ艦隊がメーメルに向かうロシア艦隊の背後でフィンランド湾へ侵入する前にそれらを発見することができたであろう。 20日 深夜、ロシアの第1巡洋艦戦隊は、無線傍受によってドイツの機雷敷設部隊を発見し、これを追撃した。ドイツ艦隊は、機雷巡洋艦アルバトロスとその護衛の大型巡洋艦ローン、小型巡洋艦アウクスブルクとリューベックおよび4 隻の大型水雷艇に3 隻の航洋水雷艇からなっていた。旗艦アウクスブルクは、ローンとリューベックにロシア艦隊の迎撃を命じて南方へ撤退を開始した。 ロシア艦隊は限られた好機を生かすことができず、またロシアの巡洋艦隊は戦前には華麗な砲術を披露していたのに、この海戦での砲撃は対馬海戦 のZ・P・ロジェストヴェーンスキイ艦隊並みの水準になった。アドミラール・マカーロフ、バヤーン、オレーク、ボガトィーリの持てる半分の弾薬を消費して辛うじてアルバトロスを座礁へ追い込むことができた。ボガトィーリとオレークの攻撃を受けたアルバトロスは、撃沈を防ぐため自ら中立国のスウェーデン沿岸部へ船体を乗り上げたのである。 一方、最初の海戦が行われていた頃、リューリクは随伴する艦隊水雷艇ノヴィークとともに一晩中、連れの艦隊を見失って付近を探し回っていた。19日のうちにノヴィークは引き上げてしまったため、リューリクは単独で先行する第1巡洋艦戦隊を単独で追う形となった。 第1巡洋艦戦隊はフィンランド湾へ引き返す頃合を見つつなおもドイツ艦隊への追撃を止めなかったが、ローンとリューベック、2 隻の大型水雷艇と2 隻の航洋水雷艇からなるドイツ艦隊は、救援を求めつつこれを迎撃した。そして、ドイツ艦隊ははるかに強力なロシアの巡洋艦隊の追撃を交わすことに成功した。様々な不利な条件が重なったとはいえ、ロシア艦隊はまったくの不首尾を演ずることとなった。このふたつの戦闘は、のちに長年にわたって多くの軍人や研究家から批判される材料となった。 第2の戦闘において、リューリクはローンとのあいだで一騎討ちとなった。リューリクはあらゆる性能においてローンを凌駕しておりその勝利は確実であり、砲撃によってローンへ命中弾を与えたが、付近に潜水艦の潜望鏡が発見されたため已む無く戦場から撤収した。このため、ローンは辛くも無傷にて残った。リューリクがローンとの対決で粘り強さを発揮せず、最初の勝利を手にしなかったことについては、後世から低く評価されている。救援に駆けつけた大型巡洋艦プリンツ・アーダルベルトとプリンツ・ハインリヒは戦闘に間に合わず、なおかつプリンツ・アーダルベルトはイギリスの潜水艦E9による雷撃を受けて大破した。
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