マケドニア戦線とは? わかりやすく解説

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マケドニア戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 21:38 UTC 版)

マケドニア戦線
戦争第一次世界大戦
年月日1915年10月21日1918年9月30日
場所マケドニア
結果連合国の勝利
交戦勢力
連合国
セルビア王国
イギリス帝国
ロシア帝国
フランス共和国
イタリア王国
ギリシャ王国
中央同盟国
ブルガリア王国
オーストリア=ハンガリー帝国
オスマン帝国
ドイツ帝国
戦力
717,000 600,000
損害
174,000 200,000

マケドニア戦線(マケドニアせんせん、Macedonian front)は、1915年10月にドイツの攻撃に対してセルビアを支援する連合国によって形成された第一次世界大戦の戦域である。

解説

連合国軍とブルガリア軍が交戦し、ブルガリア軍は他の中央同盟国から支援を受けたが1918年9月の連合軍の攻勢によりブルガリアが降伏した。


マケドニア戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 05:06 UTC 版)

第一次バルカン戦争」の記事における「マケドニア戦線」の解説

オスマン帝国インテリジェンスは、ギリシャ作戦方針についての予測でも、破滅的なほどの誤ち犯していた。オスマン帝国軍参謀たちは、ギリシャ軍侵攻は、マケドニア戦線とイピロス戦線双方から同戦力行われるものと予想していた。そのため、オスマン帝国第2軍司令部は、隷下7個師団を、それぞれイピロスマケドニア南部にいるヤンヤ軍団第8軍団へ均等に振り分けていた。これは西部軍集団にとって致命的な決断だった。マケドニア戦線の主要3拠点戦略的中核であるサロニカ早期陥落招きその時点で敗北事実上決定してしまったのである対すギリシャ軍は、同じく7個師団持っていたが、その全てをマケドニア戦線のオスマン帝国第8軍団にぶつけ、イピロス戦線には計1個師団当の独立大隊群を向けたにすぎなかったのであった。当然、ギリシャ軍は、オスマン帝国第8軍に対して優位に立ったであった宣戦布告同時にギリシャテッサリア軍は王太子率いられ北部へと進軍し、サランダポロンの戦いでオスマン軍防衛線を突破、サランタポロ(en現在のラリサ県都市)へと向かった1912年11月2日ユリウス暦10月20日)のイェニジェの戦いでギリシャ軍勝利を収めた後、オスマン軍サロニカ守備隊26,000人は降伏し同年11月9日ユリウス暦10月27日)にサロニカ市は陥落した。かくてオスマン側では、ウストゥルマ軍団第8軍団の司令部および2個正規師団第14師団第22師団)、4個予備師団サロニカドラマ、ナスリチ、セレズ)が戦線から脱落した。しかもサロニカ西部軍集団主たる兵器集積所であったため、70門の火砲30丁の機関銃70,000丁の小銃までもが失われたオスマン側の記録によると、マケドニア南部での戦死者15,000人、人的損害全部41,000にも及んだマケドニアオスマン軍壊滅は、北でセルビア軍交戦中のワルダル軍の運命をも決したサロニカ陥落ワルダル軍は戦略的に孤立状態となり、補給増援断たれて、壊滅を待つのみとなったのである。 イェニジェの戦の結果を知るや、ブルガリア軍司令部は、リラ第7師団北方からイェニジェ(en)へと急派した。1週間後に同師団目的地へと着いたが、前日ギリシャ軍進駐して守備隊降伏した後であった。その後11月10日までギリシャ軍占領地拡大し、ドイラン湖(en)から、カヴァラの西のパンガイオン山 (en)まで制圧した。しかし、マケドニア西部では、ギリシャ軍セルビア軍司令部間の協力欠けていたため、1912年11月15日ユリウス暦11月2日)のソロヴィッチの戦いでギリシャ軍敗れて押し戻されることになった。これは、ギリシャ第5師団が、オスマン帝国第6軍団と遭遇戦になった戦いである。オスマン第6軍セルビア軍とピルレペ (現プリレプ)での戦いで負けてアルバニア撤退中の部隊であったが、ギリシャ軍はその存在知らされておらず、第5師団孤立状態に陥ってしまった。優勢なオスマン軍反撃モナスティル向けられギリシャ軍撤退追い込まれた。結果的にセルビア軍モナスティルからギリシャ軍叩きだしてしまったといえる

※この「マケドニア戦線」の解説は、「第一次バルカン戦争」の解説の一部です。
「マケドニア戦線」を含む「第一次バルカン戦争」の記事については、「第一次バルカン戦争」の概要を参照ください。

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