第二次来航(1854年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「第二次来航(1854年)」の解説
詳細は「日米和親条約」を参照 ペリーは香港で将軍徳川家慶の死を知ると、約束の1年をまたず、再び日本を訪れた。嘉永7年1月14日(同年2月11日)にサウサンプトン(帆走輸送艦)が現れ、1月16日(同年2月13日)までに旗艦サスケハナ、ミシシッピ、ポーハタン 以上、蒸気外輪フリゲート)、マセドニアン、ヴァンダリア(以上、帆走スループ)、レキシントン(帆走補給艦)の6隻が到着した。2月6日にサラトガ(帆走スループ)、2月21日にサプライ(帆走補給艦)が到着して計9隻の大艦隊が江戸湾に集結した。約1ヶ月にわたる協議の末、幕府は返答を出し、アメリカの開国要求を受け入れた。3月3日(3月31日)、ペリーは約500名の兵員を以って武蔵国神奈川近くの横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸し、全12箇条に及ぶ日米和親条約(神奈川条約)が締結されて日米合意は正式なものとなり、3代将軍徳川家光以来200年以上続いてきた、いわゆる鎖国が解かれた。その後、伊豆国下田(現静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、5月25日に和親条約の細則を定めた全13箇条からなる下田条約を締結した。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲ポーハタンPawhatan 蒸気外輪フリゲート 1852年 積載量2415トン(bmトン)排水量3765英トン 289 420NHP795IHP 11インチダールグレン砲x19インチダールグレン砲x1012ポンド砲x5 サスケハナSusquehanna 蒸気外輪フリゲート 1850年 積載量2450トン(bmトン)排水量3824英トン 300 420NHP795IHP 150ポンドパロット砲x29インチダールグレン砲x1212ポンド砲x1 ミシシッピMississippi 蒸気外輪フリゲート 1841年 積載量1692トン(bmトン)排水量3220英トン 260 434NHP650IHP 10インチペクサン砲x88インチペクサン砲x2 サラトガSaratoga 帆走スループ 1843年 積載量882トン(bmトン) 260 無 8インチ砲x432ポンド砲x18 マセドニアンMacedonian 帆走スループ 1852年改造 積載量1341トン(bmトン) 489(改造前) 無 8インチ砲x632ポンド砲x16 バンダリアVandalia 帆走スループ 1848年改造 積載量770トン(bmトン) 150 無 8インチ砲x432ポンド砲x16 サウサンプトンSouthampton 帆走補給艦 1845年 積載量567トン(bmトン) 不明 無 42ポンド砲x2 レキシントンLexington 帆走補給艦 1843年改造 積載量691トン(bmトン) 190(改造前) 無 32ポンド砲x6 サプライSupply 帆走補給艦 1846年購入 積載量547トン(bmトン) 60 無 24ポンド砲x4
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