第二次来航とは? わかりやすく解説

第二次来航(1854年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「第二次来航(1854年)」の解説

詳細は「日米和親条約」を参照 ペリー香港将軍徳川家慶の死を知ると、約束1年をまたず、再び日本訪れた嘉永7年1月14日同年2月11日)にサウサンプトン帆走輸送艦)が現れ1月16日同年2月13日)までに旗艦サスケハナミシシッピポーハタン 以上、蒸気外輪フリゲート)、マセドニアン、ヴァンダリア(以上、帆走スループ)、レキシントン帆走補給艦)の6隻が到着した2月6日サラトガ帆走スループ)、2月21日サプライ帆走補給艦)が到着して計9隻の大艦隊が江戸湾集結した。約1ヶ月にわたる協議の末、幕府返答出しアメリカ開国要求受け入れた3月3日3月31日)、ペリーは約500名の兵員以って武蔵国神奈川近く横浜村現神奈川横浜市)に上陸し、全12箇条に及ぶ日米和親条約神奈川条約)が締結され日米合意正式なものとなり、3代将軍徳川家光以来200年上続いてきた、いわゆる鎖国解かれた。その後伊豆国下田(現静岡県下田市)の了仙寺交渉の場を移し5月25日和親条約細則定めた13箇条からなる下田条約締結した艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲ポーハタンPawhatan 蒸気外輪フリゲート 1852年 積載量2415トンbmトン排水量3765英トン 289 420NHP795IHP 11インチダールグレン砲x19インチダールグレン砲x1012ポンドx5 サスケハナSusquehanna 蒸気外輪フリゲート 1850年 積載量2450トンbmトン排水量3824英トン 300 420NHP795IHP 150ポンドパロット砲x29インチダールグレン砲x1212ポンド砲x1 ミシシッピMississippi 蒸気外輪フリゲート 1841年 積載量1692トンbmトン排水量3220英トン 260 434NHP650IHP 10インチペクサン砲x88インチペクサン砲x2 サラトガSaratoga 帆走スループ 1843年 積載量882トンbmトン2608インチ砲x432ポンドx18 マセドニアンMacedonian 帆走スループ 1852年改造 積載量1341トンbmトン489改造前) 無 8インチ砲x632ポンド砲x16 バンダリアVandalia 帆走スループ 1848年改造 積載量770トンbmトン1508インチ砲x432ポンド砲x16 サウサンプトンSouthampton 帆走補給艦 1845年 積載量567トンbmトン不明42ポンド砲x2 レキシントンLexington 帆走補給艦 1843年改造 積載量691トンbmトン190改造前) 無 32ポンドx6 サプライSupply 帆走補給艦 1846年購入 積載量547トンbmトン6024ポンドx4

※この「第二次来航(1854年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
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