韓国併合
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日韓基本条約による諸問題の清算
1965年(昭和40年)、日韓両国にて交わされた日韓基本条約において、1910年(明治43年)8月22日以前に両国において交わされたすべての条約、協定はもはや無効であることが「確認」され、日韓併合は無効化された。また、同条約において日本は巨額の資金協力(無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル、いずれも1965年当時額)を韓国に対して行い、それと引き換えに下記の点が確約された。
- 両締約国は、両締約国及びその国民(法人含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたとなることを確認する(個別請求権の問題解決)。
- 一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益において、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もできないものとする(相手国家に対する個別請求権の放棄)。
しかし、事後も韓国からの「賠償要求」は発生しつづけている(以下の#近況を参照)。
近況
2009年(平成21年)、韓国政府(外交通商部)は、強制動員労務者と軍人・軍属の不払い賃金訴訟にさいし、「(不払い賃金)は、請求権協定を通じて日本から受けとった無償の3億ドルに含まれているとしているため、日本政府に請求権を行使しにくい」という立場を公式に提示した[133][134]。なお韓国政府は太平洋戦争強制動員犠牲者支援法制定後、2008年(平成20年)から「人道的次元で苦痛を慰める」として不払い賃金被害者たちに1円あたり2000ウォンで換算し、慰労金を給付している。
2010年(平成22年)、菅直人首相は日韓併合100周年を記念して韓国に詫びる談話を発表したが、「謝罪」ではなく「お詫び」という表現を用いたため韓国側からの反発を買った[135]。また、菅はこの談話について、安倍晋三以外の日本国首相経験者から同意を得た[136]。
2010年(平成22年)8月13日、日本キリスト教協議会は、韓国キリスト教教会協議会と共同で「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表し、日韓併合条約は「武力の脅迫によって調印された条約」であり不法であること、また独立運動(抗日パルチザン)への処罰が「人道主義に反する植民地犯罪」であったこと、また日本の統治は朝鮮半島に窮乏化をもたらし、そのため多数の朝鮮人を中国、ロシア、日本などに移住させたこと、また日本による統治のため、朝鮮半島が分断し、朝鮮戦争が起こったことなどを主張した上、日韓併合条約の無効化と日本政府による賠償、朝鮮半島の平和統一に向けた努力等を訴えた[114][137]。この主張は、2015年に和田春樹、林博史、内海愛子らが発起人となり、姜尚中、李成市らの賛意を得た「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」の声明で繰り返し訴えている[138]。
脚注
注釈
- ^ 今日の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に相当する地域。旧韓国、朝鮮国(李氏朝鮮)領域。間島については一部に領有権について主張がある。
- ^ 全体の構図から「漁夫の利」などと称されて紹介されることも多い。
- ^ 日韓議定書 第四条「第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ。而シテ大韓帝 国政府ハ右大日本帝国ノ行動ヲ容易ナラシムル為メ十分便宜ヲ与フル事」
- ^ 「日省録」や「承政院日記」などの分析から高宗は日韓保護条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していたとする研究結果も、2001年(平成13年)にハーバード大学アジアセンター主催で開かれた国際学術会議で出されている[42][43][44]。
- ^ a b 「ハーグ密使事件は皇帝の責任に属す ことはもちろんだが、統監府が未然に防止できなかったことは統監の迂闊を世界に公表したものである。しかも、これは統監一人の身にとどまらず、日本の名誉毀損・威厳の侮辱・信用の抹殺である」(大阪毎日新聞 1907年7月16日の社説)[45]
- ^ 火田民も参照。
- ^ 李氏朝鮮時代も土地売買は可能であり経国大典(1460年)や続大典(1744年)で届出制を規定していたが、これら官許方式は衰退し民間同士での私的売買が横行しており公証機能が衰退していた。『最新韓国実業指針』岩永重華(宝文館、明治37年)や雑誌『韓半島』第2年2号(明治35年)などは朝鮮末期の不動産売買や制度の混乱について記録している。
- ^ 後述。高麗大学名誉教授・政治学者韓昇助の事例など。
- ^ 名誉毀損及び外患煽動の容疑で逮捕されたり、国会傍聴中や裁判において暴行される(暴行犯の朴琦緖は英雄とされ逮捕もされていない)などの被害に遭っており、身の安全のため住所すら公表していない。
- ^ 金星出版社の教科書を批判して2008年に出版された教科書フォーラム編集の教科書。
- ^ 崔文衡は2010年夏に刊行した『韓国近代の世界史的理解』(知識産業社)でも、「世界史のなかの韓国史」を提唱している。
- ^ 3党共同宣言ともいわれるが、金丸訪朝団の議事録が公開されていないが故に内実はわからない。項目金丸信を参照。
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