高宗 (朝鮮)
(徳寿宮李太王 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 02:29 UTC 版)
高宗(こうそう、コジョン、고종、1852年9月8日〈旧暦7月25日〉 - 1919年2月21日〈旧暦1月21日〉)は、李氏朝鮮の第26代国王(在位:1863年12月13日 - 1897年10月12日)、後に大韓帝国初代皇帝(在位:1897年10月12日 - 1907年7月20日)である。本名は李 㷩(り き、イ・ヒ)[1]、初諱は載晃(さいこう、チェファン、재황)、幼名は命福(めいふく、ミョンボク、명복)、小字は明夫(めいふ、ミョンブ、명부)、字は聖臨(せいりん、ソンニム、성림)、号は珠淵(しゅえん、チュヨン、주연)。諡は統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳堯峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休寿康文憲武章仁翼貞孝太皇帝。即位時の年号をとって光武皇帝(こうぶこうてい、クァンムファンジェ、광무황제)または光武帝(こうぶてい、クァンムジェ、광무제)と称されることもある。即位前は翼成君(よくせいくん、イクソングン、익성군)に封じられていた。韓国併合後は太王(王族)の称号を与えられ、徳壽宮李太王と称された[2][3]。
- ^ 諱の「㷩」は、熙の異体字(れっかではなく火)
- ^ a b c 百科事典マイペディア 高宗 (コトバンク)
- ^ a b 精選版 日本国語大辞典 王公族 (コトバンク)
- ^ a b c d e “【コラム】高宗に問うべき三つの罪-Chosun online 朝鮮日報”. archive.is (2019年2月6日). 2019年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版. “【コラム】韓国政府が北の政権と三・一運動を記念する喜劇”. www.chosunonline.com. 2019年2月7日閲覧。
- ^ a b c “【コラム】高宗に問うべき三つの罪-Chosun online 朝鮮日報”. archive.is (2019年2月6日). 2019年2月7日閲覧。
- ^ 1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告
- ^ a b “<外交は力だ>(1)旧韓末の救国外交「ロシア皇帝に送った高宗親書を初公開」”. 中央日報. (2015年8月12日). オリジナルの2022年8月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ (李昇燁「滅びし王朝の君主一族」『歴史学への招待』世界思想社 ||
- ^ 『朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・バード、講談社 (1998/8/10)
- ^ 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版. “【コラム】韓国政府が北の政権と三・一運動を記念する喜劇 p3”. www.chosunonline.com. 2019年2月7日閲覧。
- 1 高宗 (朝鮮)とは
- 2 高宗 (朝鮮)の概要
- 3 概要
- 4 家系
- 5 参考文献
- 高宗 (朝鮮)のページへのリンク