解放直後から大韓民国建国までとは? わかりやすく解説

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解放直後から大韓民国建国まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)

韓国における政党史」の記事における「解放直後から大韓民国建国まで」の解説

8月15日解放以後呂運亨中心に左翼中道勢力が「建国準備委員会」(略称:建準)を結成一方保守民族主義勢力国民大会準備会(アメリカ軍仁川上陸翌日控えた9月7日宋鎮禹金性洙、徐相日、金俊淵張沢相金東圭等の民族主義者中心となって結成)を基礎にして9月宋鎮禹金性洙中心に韓国民主党」(略称:韓民党)を結成したが、米軍南朝鮮進駐した時点で、政党政治団体の数が70余りにも及び、1946年9月までに米軍政庁と各道庁登録され政党数は107にも昇った。これらの政党は、朝鮮共産党朝鮮人民党などの左派政党別にして理念政策違いは殆どなく、近代的な政党政治のための基盤未整備な状態の中、政治指導者個人的人脈地縁によって作られ名望家政党もしくは幹部政党色合い強かった。これらの政党及び政治グループはやがて、解放直後結成された建準から改変した「朝鮮人民共和国」(以下、人共)の系譜受継いだ社会主義若しくは共産主義者勢力左派勢力)と、中国重慶置かれていた大韓民国臨時政府(以下、臨政)を支持する保守民族主義勢力の二大勢力に収斂していくことになった表11947年8月現在の南朝鮮における政党社会団体政治的立場分布 右翼中道右翼中道中道左翼民戦(左翼)政党44 18 9 6 41党員数(千名)12,483 4,028 2,882 4,609 14,450 出典:“法政大学出版局韓国現代政治条件』崔章集著・中村福治訳”の81上段の図より政党数と党員数引用して作成した左派勢力右派勢力しのぎを削る中、1947年3月トルーマン・ドクトリンに始まる米ソ冷戦激化で、米国信託統治左右合作による南北統一政府樹立方針から南朝鮮のみでの単独政府樹立方針転換し左派勢力対す弾圧強化したことで、左派勢力地下潜行余儀なくされた。また中道勢力は、左右対立真只中で両派からの攻撃を受け、分裂繰り返し、両派に修練していくことになった1948年5月10日行われた初代総選挙には、単独政府主張してきた韓民党李承晩総裁とする大韓独立促成国民会独促)やそれに近いグループのみが参加し金九南北協商派や金奎植など中道勢力選挙への参加拒否した。そのため、制憲国会で李承晩支持する右派勢力圧倒的多数占めた。しかし、李承晩支援してきた韓民党は、議院内閣制導入国務委員閣僚)の配分めぐって袂を分かつことになった

※この「解放直後から大韓民国建国まで」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
「解放直後から大韓民国建国まで」を含む「韓国における政党史」の記事については、「韓国における政党史」の概要を参照ください。

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