解散〜リユニオン (1990年 - 2001年)
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1990年8月21日、5thアルバム『無法の掟』をリリースした。しかしこのアルバムは従来のストライパーのイメージとは著しく変化しており、アルバム・ジャケットに必ず黒と黄色のカラーが含まれていたり、神を賛美するような歌詞というような彼ら独特の要素が一切排除された。その一方で、バンドは黒い革のパンツやレザーというようなオールド・メタルのイメージに一転し、サウンドもより重厚かつヘヴィなものに変貌した。この大きな変化に関して、ドラマーのロバート・スウィートは「前作のポップイメージを払拭したかった」と発言している。また、このアルバムにはジェフ・スコット・ソートがコーラスで参加しているほか、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのカヴァー曲「シャイニング・スター」に、ジョー・ジャクソンが参加している。 『無法の掟』発表後、所属していたレコード会社のEnigma Recordsが倒産。新たにハリウッド・レコードと契約した後、1991年に新曲2曲を含むベスト盤『キャント・ストップ・ザ・ロック』をリリース。そして1992年2月までのツアー終了後、ソロ活動を理由にマイケルがバンドを脱退。その後、オズ・フォックスがギターとボーカルを兼任してヨーロッパを回ったが、アメリカへ帰国後に自然消滅という形でバンドは解散。 その後、オズ・フォックスとティム・ゲインズはSIN DIZZYを結成し、1998年にアルバム『He's Not Dead』をリリースした。マイケル・スウィートは1990年代に4枚のソロ・アルバムをリリースし、クリスチャン・ミュージック市場に貢献した。ロバート・スウィートは様々なバンドのドラマーとして活躍し、2002年にはソロ・アルバムもリリースしている。 SIN DIZZYのメンバーは一度、1999年にプエルトリコで開かれたロック・フェスティバルにてマイケル・スウィートを含めたメンバーでストライパーの曲を披露している。また2000年にニュージャージーで開かれた「Stryper Expo」にて、8年ぶりにストライパーとして復活した。これと同年にはコスタリカで公演を行った後、2001年にはロサンゼルスにて再び「Stryper Expo」を行っている。
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