解放政局期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 20:24 UTC 版)
解放後、進駐したソ連軍の掠奪と婦女子強奪などの蛮行に反発、ヒョン・ジュニョクを暗殺した。以後、ソ連軍の監視が激しくなると越南した。 ソウルにやってきた彼は楽園洞にアジトを維持し、大同団を白衣民族にちなんだ白衣社に改称した。孝子洞、宮井洞等といったソウルの様々な場所にアジトを展開し、団員たちを抱き込み、団員同士もお互いについて解らないような秘密結社として、猛烈な反共主義活動をした。 大韓民国臨時政府の政治工作隊と連携し、金日成などの要人暗殺を試みて、白衣社の団員たちを警察係、国防警備隊、労働係などにも入れて反共運動をさせた。 1946年2月15日、民主主義民族戦線結成大会場で、金斗漢と団員を使って、朝鮮共産党の朴憲永を拉致しようとしたが未遂に終わった。1947年7月には、呂運亨を暗殺するために拳銃を提供した。 彼は左翼労働運動に対して非常に警戒しており、アルバート・ウェデマイヤー中将に宛てた書簡から共産主義に対する彼の考えを垣間見ることができる。「民主主義と共産主義が共存できないという事実は、各国の事例に照らして立証されています。それでも米軍政当局は、あまりにも小さな器である南朝鮮において、このような滑稽な実験をしています」と書かれている。 また、1万5千名の師団兵力で構成されている白衣軍創設計画を立てて、ソウル(G-2)本部と牡丹地域に司令部を置く白衣軍を創設し、中国共産党を攻撃することが目標と記録されている。しかし、この当時満洲は、既に中国共産党が掌握していた状態で実現はできなかった。 ウェデマイヤー中将への書簡によれば、廉東振は強力な軍事力に基づくファシスト的な国家社会主義建設を夢見ていたという。「韓国人たちは極端な資本主義と共産主義を、 すべて拒否します。 新しい韓国の国家形態は国家社会主義でなければなりません」と書かれている。 シーリー少佐の報告書にもこれと似たような文章がある。「廉東振は李承晩が首班である政府より、より強力で軍事的な政府を好んでいた。金九が韓国の指導者になれば、日本と米国が訓練した200万の韓国軍を持つようになるだろう……」と書かれている。
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