歴史と要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:30 UTC 版)
ジェームズ・W・シーザーによれば、「反米」という観念は、17 - 18世紀のヨーロッパで形成された。17世紀以降、ピルグリム・ファーザーズなどのイギリスの清教徒(ピューリタン)などをはじめ、大量の移民が北アメリカ大陸に渡るが、当時のヨーロッパの知識人の間では「アメリカではすべてが退化する」「すべての生命体が退化するし、犬も鳴かなくなる」ということが語られていた。以後、アメリカは未開の自然状態から、産業資本主義、大衆民主主義、消費社会の象徴として語られて行く。フランスの政治思想家・アレクシ・ド・トクヴィルはアメリカの民主政治に対する批判を著書『アメリカの民主政治』で行ない、ゲオルク・ヘーゲルやフリードリヒ・ニーチェ、マルティン・ハイデッガー、アレクサンドル・コジェーブなどヨーロッパの哲学者は、人類社会がとる究極の頽落形態を「アメリカ」に見いだし、そうした「反米」の観念はフランスに代表されるポストモダン哲学やボードリヤールなどにも見いだされる。ハイデッガーは、アメリカは“破局の地”だったとしている。 19世紀前半、アメリカは南北アメリカを自国の勢力圏に置く意図でモンロー主義を掲げてラテンアメリカ諸国の独立運動に軍事介入を行ったため、ラテンアメリカのナショナリズムはしばしば反米に結びついた。ラテンアメリカの反米主義には長い伝統がある。 しかし19世紀末には米西戦争でフィリピン・グアムに進出するなど事実上モンロー主義を棄て、アメリカは太平洋そして世界における勢力拡大に乗り出していく。 1918年11月11日に第一次世界大戦が終わると、パクス・アメリカーナの時代が始まり、アメリカの世界的影響力が強まった。第二次世界大戦終結までのヨーロッパでは、全体主義・共産主義を掲げる独裁者や軍事政権に、アメリカ式民主主義への反発や反ユダヤ主義から反米感情を抱いた者が多かった。 第二次世界大戦が終わり冷戦が始まると、パクス・アメリカーナの時代が本格的に始まることになった。アメリカ政府や大企業が「世界の保安官」「世界の警察官」を自認し、「資本主義(自由主義)陣営の防衛」を名目に、諸外国に対して政治・軍事・経済・社会など諸々の面で介入を行なったこと、アメリカ企業が世界の大衆文化に大きな影響力を持ったことから、反米感情は様々な形で全世界に広がった。 先進的な文化や世界観などが要因でアメリカに愛好感を抱く人々も多いが、一方では以下の要因で厭悪感を抱く人々も多い。 冷戦時代における中南米諸国への軍事クーデターの支援など、反共主義的な独裁者・軍事政権に対する支援。 冷戦後の、アラブ諸国やイスラム諸国への軍事介入、「民主化」「二大政党制」(=政治のアメリカ化)、「グローバル化」「新自由主義」(=経済のアメリカ化)、「親米化」(文化のアメリカ化)。 冷戦時代には、共産主義を名目とした大国(ソビエト連邦・中華人民共和国)の支配階級も、各国の市民団体や反戦団体を、反米運動の隠れ蓑として利用していた。
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