歴史と観測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 05:09 UTC 版)
水星より内側の軌道に位置する天体は、何世紀もの間、想定され、探索されてきた。ドイツの天文学者クリストフ・シャイナーは、1611年に太陽の前面を横切る小天体を観測したと確信したが、これは後に太陽黒点であったことが判明した。1850年代、ユルバン・ルヴェリエは水星の軌道を詳細に計算し、近日点歳差運動に予測される値との小さなずれがあることを見いだした。彼は、水星の軌道の内側にある小さな惑星か小惑星環からの重力の影響を仮定し、このずれを説明した。その少し後、アマチュア天文学者のEdmond Lescarbaultは、ルヴェリエの仮定した惑星が太陽を横切るのを観測したと主張した。新しい惑星は、すぐにバルカンと名付けられたが、再び観測されることはなく、水星の軌道の特異な振舞いは、1915年にアインシュタインの一般相対性理論で説明された。バルカン群の名前は、この仮想上の惑星に由来する。Lescarbaultが観測したものは、恐らく別の太陽黒点であったと考えられる。 バルカン群が存在するとしても、近くにある太陽の強烈な光のために検出が難しく、また地上からの探索は薄明時か日食の時にしか行えない。1900年代初めに、日食の間の何度かの探索が行われたが、バルカン群は発見されなかった。日食の間の観測は、現在でも一般的な手法となっている。太陽が光学系に損傷を与える可能性があるため、これらを探索するために伝統的な望遠鏡は用いることができない。 1998年、SOHOに搭載された3つのコロナグラフから構成されるLASCOからのデータが分析された。その年の1月から5月に集められたデータは、7等級より明るいバルカン群の存在を示さなかった。これは、小惑星が水星と同じアルベドを持つとすれば、直径約60kmに相当し、特にスケール相対性で予測される0.18AUの距離に大きな小惑星が存在する可能性を否定するものではない。 バルカン群検出を目指すその他の取組には、地球の大気による妨害を避けるために、薄明時が地上と比べてより暗くより清澄になる高度に機器を設置して行われたものもある。2000年、惑星科学者のアラン・スターンは、U-2偵察機を用いて、バルカン群が存在しうる領域の観測を行った。高度は21,300mで、薄明時に観測が行われた。2002年には、彼とDan Durdaは、F/A-18戦闘機を用いて同様の観測を行った。彼らは、モハーヴェ砂漠の上空15,000mを3度飛行し、Southwest Universal Imaging System?Airborne (SWUIS-A)を用いて観測を行った。 このような高度でも、大気はまだ存在し、バルカン群の検出に支障を及ぼす。2004年、地球の大気圏外からの画像を撮影するために弾道飛行が試みられた。1月16日、ニューメキシコ州ホワイトサンズから、VulCamと名付けられた強力なカメラを積んだブラック・ブラントが打ち上げられ、10分間の飛行が行われた。この飛行では高度274,000mに達し、5万枚の画像が撮影された。技術的な問題のせいで、どの画像もバルカン群を探査するのに用いることはできなかった。 アメリカ航空宇宙局の2機のSTEREO衛星のデータの探索でも、バルカン群の小惑星を見つけることはできず、直径5.7kmを超えるバルカン群の存在は疑わしいとされた。 メッセンジャーは、バルカン群に関する証拠を提供する可能性がある。損傷を避けるために常に機器を太陽とは別の方向に向けており機会は限られるが、既にバルカン群が存在しうる領域の外縁の画像を撮影している。
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