自然状態
自然状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 15:10 UTC 版)
自然状態とは社会的要因が加えられる前の人間の状態を指す概念で、人間性の「ナチュラルエッセンス」を記述する試みである。 性善説ジョン・ロックによれば自然状態の人間には、自然法則に従いながら行動を命じる完全な自由がある。ロックはまた、人間はみな等しい価値を持つので、他者の許可を得ずともそれぞれが行動することができるというホッブズに同意した。財産権をまもるためにコミュニティに参加することを同意するとき、自然状態を失う。 ペラギウスによれば人は原罪によって穢されておらず、その代わりに完全に善か悪を選ぶことができる。 性悪説ホッブズによれば自然状態の人間は本質的に、「全てに対する全ての闘争」である。そして人生は「汚くて、野蛮で、短い」。この状態はよい政府によって正されることができる。 キリスト教の原罪の概念によれば、人間はアダムの罪によって穢された本質的に堕落した存在で、イエス・キリストの正しさに対する信仰をとおして神の慈悲により救われるだけである。 バートランド・ラッセルによれば道徳的な罪あるいは罰は、捕食者であった我々の祖先から受け継いだ本能である。 生物学的決定論と環境決定論によれば、人間の行動は生物学的、環境的に決定されており、一部の人はしたがって、悪いとされる行動にも良いとされる行動にも、本当に個人の責任を問うことができないと主張する。
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自然状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:39 UTC 版)
「リヴァイアサン (ホッブズ)」の記事における「自然状態」の解説
個々人が自らの意志を達成しようとする手段が権力であり、国家以前の状態である自然状態を理論的に想定した場合には大きな権力の格差は認められない。なぜなら各個人は権力の源泉となる身体、知性、性格、品位などによって多少の個性はあるものの、総合的な観点に立てば人間の能力は対等に与えられているからである。 しかし権力が平等であったとしても希求されている対象物が複数で分割できないために複数者の意志が達成できないならば彼らは敵対関係になる。人間の本性には競争、不信、自尊心の情念があり、これらは不可避的に敵対関係を創出する。したがって人間はこの敵対者に対して先制攻撃を加えることで殺害または服従させるかを選択することになる。これは人間の自己保存が最重要の価値と見なされる自然権であり、この自然権を追求することは自由でなければならない。 しかし自由に自然権を行使すれば人々は常に攻撃される危険に晒されることになり、結果的に自然状態は万人の万人に対する闘争に発展する。自然状態での闘争では戦闘が遂行されているかどうかが問題ではなく、それは危害を加える意図が示された状態と考えられる。このような状態では人間は永続的に恐怖と危険に備え続けなければならず、取引によって経済を発展させることは不可能であり、人間の生活は孤独かつ残忍なものとなる。
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