自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:08 UTC 版)
「神 (神道)」の記事における「自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神」の解説
この中で最も古いのは 1 の自然物や自然現象を擬人化、神格化した神である。日本神話では大山祇神などが山の神として登場する。比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比咩神など、特定の山に結びついた山の神もある。草の神である草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)も日本神話において現れる。日本神話では日本の国土形成を行ったのはイザナギ・イザナミであり、淤能碁呂島以外は現在の日本列島のうち(当時)主要な島は、国産みで産まれた神々である。引き続く神産みでは海の神の大綿津見神、山の神の大山津見神、野の神のカヤノヒメ、風の神の志那都比古神、火の神の火之夜藝速男神などを産んだ。 古代の日本人は、山、川、海中の島、巨石、巨木、神の顕現と思われるような動物・植物などといった自然物、鏡や剣のような神聖な物体、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、小泉八雲はこれを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。このように神の観念の発展とともに、岩や器物は神霊の憑依するものと見なされるようになり、鳥や獣も神の使いとして考えられるようになる。 山に関しては神の鎮まるところ、神の住むところと見るようになり、山そのものを神体として「神体山」と呼ぶようになった。大場磐雄は、神体山を浅間型と神南備(かんなび)型の二つに分けている。まず浅間型は山谷が秀麗で周囲の山々からひときわ高く目立つ形をしており、神南備型は人里に近い比較的低い山で、傘を置いたようななだらかな形をしている。地名としてはカンナビ、ミムロ・ミモロというものが多い。前者に属する山は富士山や白山(加賀)で、後者は奈良の三輪山・春日山がその典型。 次に、川や沼、池などにも水の神がいるという信仰もたくさんある。農業用水や生活用水との神と結びつくことが多い。神聖な山から水が流れ出し川となり、その川の上流から何か流れくるものが、神の世界から来たものと結びつけられることが多く、桃太郎や瓜子姫の話が成立し、神の子が誕生する物語に発展していく。修験道の系譜だが、例えば那智滝はそれ自体が御神体である。
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