しぜんさいがいでんしょう‐ひ【自然災害伝承碑】
自然災害伝承碑
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自然災害伝承碑(しぜんさいがいでんしょうひ)は、地震、津波、洪水、噴火といった大規模な自然災害の状況や教訓を後世に伝え残すために作られた災害碑、慰霊碑、記念碑等の碑やモニュメントである[1]。
- ^ a b c “自然災害伝承碑”. 国土地理院 公式サイト. 国土地理院. 2024年4月25日閲覧。
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- ^ “大地震や津波などの自然災害伝承碑、地形図に初掲載 東北は4カ所 国土地理院”. 『河北新報』. (2019年9月5日)
- ^ 災害伝承を専門に研究する香川大学客員教授の松尾裕治による見解。出典:「災害碑」地図掲載 道半ば/自治体、所在不明や調査難しく『日本経済新聞』朝刊2020年9月1日(社会面)同日閲覧。
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- ^ 都司嘉宣、日野貴之「寛政四年(1792)島原半島眉山の崩壊に伴う有明海津波の熊本県側における被害,および沿岸遡上高」『東京大学地震研究所彙報』第68巻第2号、東京学地震研究所、1993年9月、91-176頁、doi:10.15083/0000032721、ISSN 00408972、NAID 120000865917。
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- ^ “写真特集:雲仙・普賢岳大火砕流 “がまだす”合言葉に復興”. 『毎日新聞』. (2012年5月2日). オリジナルの2012年6月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ 岩松暉 (2013-09). “石碑にみる桜島大正噴火の災害伝承” (PDF). 西部地区自然災害資料センターニュース (九州大学西部地区自然災害資料センター) (49): 15-24. ISSN 1340-9883 .
- ^ a b “昭和34年(1959年)伊勢湾台風に関する石碑・慰霊碑等について”. 消防科学総合センター. 2013年5月21日閲覧。
- ^ 「第三章 失敗情報の伝わり方・伝え方」『失敗学のすすめ』講談社、2005年4月15日。ISBN 4-06-274759-6。
- ^ “新たな地図記号「自然災害伝承碑」を制定。災害教訓を周知”. Impress Watch. (2019年3月15日) 2019年6月22日閲覧。
- ^ “国土地理院、13年ぶりの新地図記号「自然災害伝承碑」を掲載開始 “先人の教訓”で被害軽減へ”. livedoor news. (2019年6月20日) 2019年6月22日閲覧。
- ^ “地図に158の災害伝承碑 過去の地震、津波教訓に”. 『日本経済新聞』. (2019年6月20日) 2019年6月22日閲覧。
- 1 自然災害伝承碑とは
- 2 自然災害伝承碑の概要
- 3 地図記号
自然災害伝承碑
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天塩町には石碑「追悼碑」があり、2019年に自然災害伝承碑として国土地理院のウェブ地図に登録された。
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自然災害伝承碑
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2019年7月、奥尻町内にある北海道南西沖地震の地震津波被害に関する碑4基が自然災害伝承碑として国土地理院のウェブ地図に公開された 時空翔 - 青苗岬にある石碑で碑の土台は襲来した津波と同じ高さにまで盛り土されている。 慰霊碑(奥尻町初松前地区)
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自然災害伝承碑
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2019年7月、十勝岳噴火に関する美瑛町の2基及び上富良野町の7基の石碑が自然災害伝承碑として国土地理院のウェブ地図に公開された。 十勝岳爆発記念(石碑)(美瑛町) 大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑(美瑛町) 遭難記念碑(上富良野町) 追善記念碑(上富良野町) 『泥流地帯』三浦綾子文学碑 (上富良野町) 十勝岳爆発惨死者碑(上富良野町) 新西国三十三所 観世音菩薩 (上富良野町) 遭難記念碑(上富良野町) 十勝岳爆発横死者血縁塔(上富良野町)
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