中国方面での行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 00:41 UTC 版)
「如月 (睦月型駆逐艦)」の記事における「中国方面での行動」の解説
1932年(昭和7年)1月、第一次上海事変が勃発。日本海軍は野村吉三郎中将を司令長官とする第三艦隊(旗艦「出雲」)を編制する。第一艦隊所属だった第一水雷戦隊(旗艦「夕張」、第22駆逐隊《皐月、水無月、文月、長月》、第23駆逐隊《菊月、三日月、望月、夕月》、第30駆逐隊《睦月、如月、弥生、卯月》)は第三艦隊に臨時編入され、第一航空戦隊(空母加賀、鳳翔、第2駆逐隊《峯風、澤風、矢風、沖風》)、第三戦隊(那珂、阿武隈、由良)等と共に上海市で集結、同方面で作戦行動に従事した。 1936年(昭和11年)12月の配置替えにより、第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月)は第一航空戦隊(司令官高須四郎少将:空母龍驤、鳳翔)に編入された。1937年(昭和12年)8月上旬の第二次上海事変により、第一航空戦隊と第二航空戦隊(加賀、第22駆逐隊《皐月、水無月、文月、長月》)は第三艦隊の指揮下に入ると(一航戦は8月6日、二航戦は8月10日編入)、東シナ海へ進出した。8月16日以降、第30駆逐隊は空母「龍驤、鳳翔」を護衛して作戦に従事した。同年12月1日の戦時編制変更により、第一航空戦隊は空母「加賀」及び第19駆逐隊(磯波、敷波、浦波、綾波)となり、空母「龍驤」と駆逐艦「如月、弥生」が第二航空戦隊となる。同航空戦隊は翌年1月の青島上陸作戦に従事、以後も南シナ海で行動した。その後、第30駆逐隊は予備隊をへて第四艦隊に編入。さらに「卯月」は第23駆逐隊に転出、代艦として「望月」が30駆に編入された。太平洋戦争までの第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、望月)は主に南洋諸島で行動した。10月1日、第30駆逐隊司令駆逐艦は「如月」から「睦月」に変更された。
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