日露海戦史の編纂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日露海戦史の編纂の意味・解説 

日露海戦史の編纂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 22:02 UTC 版)

大日本帝国海軍の歴史」の記事における「日露海戦史の編纂」の解説

帝国海軍は、日露戦争開戦1か月前の1904年明治37年1月に、小笠原長生少佐明治36年2月から巡洋艦「千代田」副長)を海軍軍令部参謀補し、日露海戦史の編纂主務者とした。1903年明治36年9月から1909年明治39年11月まで(日露戦争全期間を含む)海軍軍令部次長務めた伊集院五郎中将が、自らが日清戦争の後に『明治二十七八海戦史』の編纂主務者を務めた際に多く困難に遭った経験照らし日露開戦前に戦史編纂準備始めたもの。伊集院小笠原編纂主務者に選んだのは、『明治二十七八海戦史』の編纂過程主務者の伊集院助けて働き高く評価したため(外山三郎研究による)。 1905年明治38年3月海軍軍令部長伊東祐亨大将は、海軍大臣山本権兵衛大将に、日露海戦史の編纂方針提出し海軍大臣了承得たこの方針の骨子は「(1)編纂期間を5年とする (2)編纂委員会を設置することなく海軍軍令部4班長が編纂にあたる」であるが、この基本方針策定し編纂責任者たる海軍軍令部4班長(江頭安太郎少将次いで名和又八郎少将)の下で編纂主務となったのは小笠原1905年明治37年4月中佐進級であった小笠原らは1905年明治38年12月から『極秘明治三十七八海戦史』(150巻、『極秘海戦史』と通称される)の編纂開始し1911年明治44年)に完成させた。『極秘海戦史』は海軍部内限り図書であり、所定部隊官衙学校などに配布されたが、1945年昭和20年)の敗戦時に全て焼却された。明治天皇献上され一揃いのみが処分されずに現存し防衛省防衛研究所戦史部に「千代田文庫」として保管されており、一般閲覧も可能である。アジア歴史資料センターインターネット通じて閲覧可能(「極秘 明治37.8年海戦史で検索)。 『極秘海戦史』をもとに、小笠原らによって『明治三十七八海戦史』が編纂された。『明治三十七八海戦史』は、1909年明治42年)に春陽堂から4巻本として公刊され日露戦争30周年1934年昭和9年)に内閣印刷局朝陽会から、「医務衛生編」を除き2巻本に再編集して再刊された。 なお、海軍軍令部は、『明治三十七八海戦史』から日本海海戦に関する部分要約して同じく1934年昭和9年)に内閣印刷局朝陽会から『日本海大海戦史』として刊行した帝国海軍は、春陽堂から明治42年刊行された『明治三十七八海戦史』を当時ロシア帝国海軍寄贈したロシア帝国海軍軍令部では同書資料含め日露戦争海戦史編纂した。これを入手した海軍軍令部は、和訳して『千九百四、五年露日海戦史』を作成し海軍部内資料とした。 『明治三十七八海戦史』は、平間洋一解題付して2004年平成16年)に芙蓉書房出版から3巻本として再刊された(ISBN 9784829503492) 。これは、明治42年春陽堂版から「医務衛生編」を除いたものを底本としている。 『千九百四、五年露日海戦史』も、平間洋一解題付して2004年平成16年)に芙蓉書房出版から2巻本として再刊された(ISBN 9784829503508)。

※この「日露海戦史の編纂」の解説は、「大日本帝国海軍の歴史」の解説の一部です。
「日露海戦史の編纂」を含む「大日本帝国海軍の歴史」の記事については、「大日本帝国海軍の歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日露海戦史の編纂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日露海戦史の編纂」の関連用語

日露海戦史の編纂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日露海戦史の編纂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大日本帝国海軍の歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS