日露海戦史の編纂
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「大日本帝国海軍の歴史」の記事における「日露海戦史の編纂」の解説
帝国海軍は、日露戦争の開戦1か月前の1904年(明治37年)1月に、小笠原長生少佐(明治36年2月から巡洋艦「千代田」副長)を海軍軍令部参謀に補し、日露海戦史の編纂主務者とした。1903年(明治36年)9月から1909年(明治39年)11月まで(日露戦争の全期間を含む)海軍軍令部次長を務めた伊集院五郎中将が、自らが日清戦争の後に『明治二十七八年海戦史』の編纂主務者を務めた際に多くの困難に遭った経験に照らし、日露開戦前に戦史編纂準備を始めたもの。伊集院が小笠原を編纂主務者に選んだのは、『明治二十七八年海戦史』の編纂過程で主務者の伊集院を助けての働きを高く評価したため(外山三郎の研究による)。 1905年(明治38年)3月、海軍軍令部長の伊東祐亨大将は、海軍大臣の山本権兵衛大将に、日露海戦史の編纂方針を提出し、海軍大臣の了承を得た。この方針の骨子は「(1)編纂期間を5年とする (2)編纂委員会を設置することなく、海軍軍令部第4班長が編纂にあたる」であるが、この基本方針を策定し、編纂責任者たる海軍軍令部第4班長(江頭安太郎少将、次いで名和又八郎少将)の下で編纂主務者となったのは小笠原(1905年(明治37年)4月に中佐に進級)であった。 小笠原らは1905年(明治38年)12月から『極秘明治三十七八年海戦史』(150巻、『極秘海戦史』と通称される)の編纂を開始し、1911年(明治44年)に完成させた。『極秘海戦史』は海軍部内限りの図書であり、所定の部隊・官衙・学校などに配布されたが、1945年(昭和20年)の敗戦時に全て焼却された。明治天皇に献上された一揃いのみが処分されずに現存し、防衛省防衛研究所戦史部に「千代田文庫」として保管されており、一般の閲覧も可能である。アジア歴史資料センターでインターネットを通じて閲覧可能(「極秘 明治37.8年海戦史 」で検索)。 『極秘海戦史』をもとに、小笠原らによって『明治三十七八年海戦史』が編纂された。『明治三十七八年海戦史』は、1909年(明治42年)に春陽堂から4巻本として公刊され、日露戦争30周年の1934年(昭和9年)に内閣印刷局朝陽会から、「医務衛生編」を除き、2巻本に再編集して再刊された。 なお、海軍軍令部は、『明治三十七八年海戦史』から日本海海戦に関する部分を要約して、同じく1934年(昭和9年)に内閣印刷局朝陽会から『日本海大海戦史』として刊行した。 帝国海軍は、春陽堂から明治42年に刊行された『明治三十七八年海戦史』を当時のロシア帝国海軍に寄贈した。ロシア帝国海軍軍令部では同書を資料に含め、日露戦争の海戦史を編纂した。これを入手した海軍軍令部は、和訳して『千九百四、五年露日海戦史』を作成し、海軍部内資料とした。 『明治三十七八年海戦史』は、平間洋一が解題を付して、2004年(平成16年)に芙蓉書房出版から3巻本として再刊された(ISBN 9784829503492) 。これは、明治42年の春陽堂版から「医務衛生編」を除いたものを底本としている。 『千九百四、五年露日海戦史』も、平間洋一が解題を付して、2004年(平成16年)に芙蓉書房出版から2巻本として再刊された(ISBN 9784829503508)。
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