日露戦争時の戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 20:11 UTC 版)
「アレクセイ・クロパトキン」の記事における「日露戦争時の戦術」の解説
日本軍の能力を高く評価していたクロパトキンは、日本軍との全面直接対決を極力避けた上でシベリア鉄道の輸送力を活用し、兵力と物資の蓄積を図りつつ、日本軍を北方に吊り上げて補給路が伸びきり疲労が激しくなった所を一挙に殲滅するという作戦を計画した。しかし会戦においては敗北を繰り返し結果的に後退したのみだった。そして後退を繰り返した結果、各兵士の士気低下を招き終始指揮系統が混乱した。またクロパトキン自身も時勢に流されたその場しのぎの作戦指揮を展開したため、日露戦争においてロシア軍が敗北する結果に繋がった。 敵を引き付けて叩くという戦法はロシア軍の定石戦法ではあるが、クロパトキンが大量の物資を輸送出来る鉄道という手段に注目し活用したことは、後の第二次世界大戦の独ソ戦やソ連対日参戦でも利用されており、日露戦争当時としては比較的斬新な戦法であったとも推察できる。
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