日露海戦前夜の訓令とは? わかりやすく解説

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日露海戦前夜の訓令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 10:22 UTC 版)

竹内平太郎」の記事における「日露海戦前夜の訓令」の解説

1900年主席駐在武官として駐仏公使館に着任した竹内大佐主要な任務は、露仏同盟によりロシア軍事的な関係を強化していたフランスにおいて、ロシアの軍事情報収集することであったとされている。1903年12月22日海軍次官斎藤実中将パリ駐在竹内大佐対し日露戦争備えてアルゼンチン軍発注していたジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦2隻(和名は日進春日)をイタリア・ジェノヴァ港でその性能確認し日本への回航必要な事項調査を行うよう極秘訓令発出した。 その時極秘電の内容以下のとおり。 「在巴里竹内大佐 海軍次官 貴官内密ニ且ツ速ニ伊國ニ赴キ「アンサルドー」會社ニテ製造中ノ「アルゼンチン國軍艦二隻ノ現状視察シ特ニ次ノ諸件ニ就キ詳細電答アルベシ(中略) 一、船体機関軍装現状 一、機関大砲公試成績 一、本邦回航スルニ如何ナル程度準備ヲ要スルカ」 その後日本が両艦を購入し、在ドイツ公使館駐在武官であった鈴木貫太郎中佐と共に日本搬送することになった。この時の航路は、地中海アフリカ大陸インド洋経由大回り航路と、地中海スエズ運河紅海インド洋経由ショートカット航路があり、バルト海常駐するロシア海軍バルチック艦隊日本海到達するよりも1日でも早く日進」と「春日」を日本搬送するためには、地中海スエズ運河紅海インド洋航路経由絶対条件であった。しかし、時は既に開戦向けて日露関係刻々と悪化しており、黒海常駐するロシア海軍黒海艦隊が「日進」と「春日」の通過妨害することは容易に想定できた。そのため、日本同盟国イギリス日英同盟)に援護依頼し現地雇い水兵集めた上で1904年1月7日、「日進」と「春日」はイタリア・ジェノヴァ港を出港しその後ロシア黒海艦隊の前を通過することに成功同年2月4日にはシンガポール出港し同月16日横須賀港到着した4日御前会議で対露開戦決定され2月6日日露国交断絶した竹内鈴木貫太郎はこの時の功績明治天皇謁見する

※この「日露海戦前夜の訓令」の解説は、「竹内平太郎」の解説の一部です。
「日露海戦前夜の訓令」を含む「竹内平太郎」の記事については、「竹内平太郎」の概要を参照ください。

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