太平洋戦争中期まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 15:07 UTC 版)
「白山丸 (1923年)」の記事における「太平洋戦争中期まで」の解説
1940年9月17日付で日本海軍に徴用された「白山丸」は、佐世保鎮守府所管の特設港務艦となった。占領地の港湾設備を整えることが主任務で、船首と船尾に砲座を設け、船倉の一部を弾薬庫に改装するなど所要の工事を受けている。最終時には水中聴音機も装備されていた。太平洋戦争開始後の1942年(昭和17年)3月10日に特設運送船へ類別変更された。なお、姉妹船のうち「筥崎丸」も同様に特設港務艦として徴用されている。 「白山丸」は、1942年6月にアリューシャン作戦に投入され、海軍陸戦隊を輸送して6月8日のキスカ島無血上陸に参加した。その後は、日本軍占領地への人員・物資の補給任務に従事した。 1943年(昭和18年)10月17日には、「東京丸」とともに駆逐艦「白露」の護衛下で、トラック島からラバウルに人員および建築資材や食糧を輸送中、ニューアイルランド島カビエンの北北西70海里(約130km)付近において、アメリカ陸軍航空軍のB-24爆撃機による爆撃と機銃掃射を受けて炎上、船長以下36人が戦死した。 翌10月18日にラバウルへたどり着いて応急修理を開始したが、11月2日にもアメリカ陸軍航空軍のB-25爆撃機・P-38戦闘機によるラバウル空襲に巻き込まれた。左舷に爆弾が命中、煙突などを損傷して、乗員2人と作業中の工員多数が戦死した。このときも沈没は免れて応急修理され、「恵昭丸」と「第五日の丸」から49人の乗員補充を受けた後、アメリカ軍哨戒機の空襲を撃退しつつ、1944年(昭和19年)1月29日に大阪港へ帰還した。
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