太平洋戦争中盤の戦いとは? わかりやすく解説

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太平洋戦争中盤の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:48 UTC 版)

舞風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争中盤の戦い」の解説

1942年昭和17年8月7日アメリカ軍ガダルカナル島フロリダ諸島上陸しガダルカナル島の戦いはじまった舞風以下第4駆逐隊ソロモン諸島進出駆逐艦輸送作戦鼠輸送)に従事する8月18日、第4駆逐隊第1小隊(嵐、萩風)はガダルカナル島空襲を受け「萩風」が損傷戦線離脱余儀なくされた。一方、第4駆逐隊第2小隊野分舞風)は第十戦隊長良以下各艦と共に第三艦隊司令長官南雲忠一中将参謀長草鹿龍之介少将旗艦翔鶴)に同行8月24-25日の第二次ソロモン海戦参加した第2小隊野分舞風)は第十一戦隊(比叡霧島)の直衛であった24日、2隻(霧島舞風)はB-17爆撃を受けるが至近弾であり、被害はなかった。本海戦日本海軍空母龍驤」等を撃沈されて敗北しトラック泊地一時撤収する。9月1日、「舞風」でジャイロコンパス故障発生、「野分」とは別行動になった翌日、「舞風」は「筥崎丸」のショートランド回航護衛したその後、2隻(野分舞風)は最前線進出した10月3日日進野分舞風)、10月6日浦波敷波野分舞風秋雲巻雲)、10月9日黒潮親潮早潮龍田野分舞風)と鼠輸送実施した10月26日、第4駆逐隊(嵐、舞風野分)は駆逐艦6隻(第16駆逐隊初風雪風天津風時津風》、第17駆逐隊浜風》、第61駆逐隊照月》)と共に南太平洋海戦参加する。第4駆逐隊(嵐、舞風)は第一航空戦隊空母3隻(翔鶴瑞鶴瑞鳳)直衛、「野分」は補給部隊護衛艦としてアメリカ軍機動部隊艦載機交戦した戦闘空母2隻(翔鶴瑞鳳)、重巡2隻(筑摩熊野)がそれぞれ損傷し駆逐艦2隻(初風舞風)は損傷空母2隻を護衛してトラック泊地向かった11月2日駆逐艦部隊(第4駆逐隊《嵐、野分舞風》、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風》、第10駆逐隊秋雲》、第61駆逐隊秋月》)は損傷艦艇(空母2隻《翔鶴瑞鳳》、重巡2隻《熊野筑摩》)を護衛してトラック泊地出港日本本土へ向かった内地整備修理後12月1日に呉を出発。ふたたびソロモン海進出する12月7日駆逐艦11隻による鼠輸送中に僚艦野分」が航行不能となる損傷を受け、半年以上戦線離脱する。「野分」は秋月型駆逐艦2番艦「照月」に護衛されつつ、夕雲型駆逐艦4番艦「長波」に曳航されてショートランド泊地まで退避した。「舞風」はショートランド停泊中の「野分」をトラック泊地まで曳航した。 1943年昭和18年1月5日より、ラバウルからラエ陸軍51師団一部などを輸送する十八作戦参加。これは「舞風」と第17駆逐隊(「谷風」、「浦風」、「浜風」、「磯風」)が「ぶらじる丸」、「妙高丸」、「くらいど丸」、「日龍丸」、「智福丸」を護衛するものであった。「舞風」は1月3日ラバウル到着船団1月5日ラバウルから出発船団空襲を受け、1月7日に「日龍丸」が被弾沈没。「舞風」は救助活動行なった同日ラエ到着ラエでも空襲を受け、「妙高丸」が被弾擱坐した。揚陸完了後、1月8日船団ラエ発。1月10日船団アメリカ潜水艦アルゴノート」の攻撃受けた上空哨戒中の艦爆潜水艦爆撃し続いて舞風」が爆雷攻撃行った。「アルゴノート」は突然艦首海面から突き出し、それに対して舞風」と「磯風」が砲撃行いアルゴノート」を撃沈した同日船団ラバウル到着1月14日-15日駆逐艦9隻(秋月第十戦隊旗艦》、時津風黒潮谷風浦風浜風磯風舞風、嵐)で鼠輸送実施、この任務中に第4駆逐隊司令駆逐艦「嵐」が被弾して内地修理を必要とする損傷を受け、勝見中佐谷風駆逐艦長)が戦死した有賀司令は他駆逐隊からの応援断り、4駆僚艦舞風」に「嵐」の曳航命じている。「嵐」はショートランド泊地経てトラック泊地移動した1月16日、第4駆逐隊司令駆逐艦は「舞風」になる。1月23日陽炎型2隻(磯風舞風)はサンタイサベル島レカタ基地への輸送実施1月26日、3隻(磯風舞風、喜山丸)でコロンバンガラ島への輸送実施詳細は「ケ号作戦」を参照 同時期、第十戦隊司令官木村進少将旗艦秋月大破時(1月19日)に負傷したため、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将1月21日附で第十戦隊司令官任命された。その後本艦ガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦)に参加した。「舞風」は有賀司令座乗する第4駆逐隊司令としての参加である。第1回作戦では、夕雲型駆逐艦5番艦「巻波」(第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将座乗)が中破して「長月」に曳航されて退避し旗艦を「白雪」に変更後作戦続行した撤退作戦成功した夕雲型2番艦「巻雲」が沈没した2月4日日本海軍駆逐艦2隻(五月雨朝雲)等を増強して第2回撤収作戦実施する零戦29機(1機喪失1機不時着)の護衛対しアメリカ軍戦闘機31機・爆撃機32機を投入10喪失)。午後2時、「舞風」はアメリカ軍機の攻撃を受け、至近弾により航行不能となった。二列縦隊左側先頭航行していたためにアメリカ軍機の標的になり、至近弾で右舷傾斜火災発生したという。「舞風」は睦月型8番艦「長月」に曳航されてショートランド泊地避退した。なお第3回作戦では姉妹艦磯風」が爆撃により大破救援為にまた「長月」が派遣されたが、「磯風」は「江風」に護衛され自力ショートランド泊地向かった。「舞風」は工作艦長浦の手応急修理おこなったのち、第16駆逐隊雪風と共に2月10日ショートランド泊地発、12日トラック泊地着。 2月13日司令駆逐艦は「舞風」から「嵐」に変更2月20日、第4駆逐隊司令有賀幸作大佐から杉浦嘉十大佐太平洋戦争開戦時の第17駆逐隊司令)に交代した有賀3月1日より高雄型重巡洋艦3番鳥海艦長)。司令駆逐艦修理終えた萩風」に変更となった3月6日、「舞風」は朝潮型駆逐艦3番艦「満潮」(同艦は第三次ソロモン海戦中に空襲大破)を曳航する姉妹艦浜風」(17駆)を護衛してトラック泊地出発、3隻(舞風浜風満潮)はサイパン経由して16日横須賀到着した17日より修理開始する6月21日第十戦隊司令官小柳冨次少将から大杉守一少将交代する6月22日舞風駆逐艦長は、中杉中佐から萩尾力中佐交代萩尾は、初春型駆逐艦6番艦「夕暮艦長神風型6番艦「追風艦長吹雪型10番艦「浦波艦長等歴任していた。 7月23日修理終えて横須賀出撃トラック進出する8月6日コロンバンガラ島輸送任務従事していた駆逐艦4隻(萩風、嵐、江風時雨)はレーダー装備した駆逐艦6隻に奇襲された。第4駆逐隊萩風、嵐)と江風一方的に撃沈され、第27駆逐隊司令駆逐艦時雨」(司令原為一大佐座乗)のみ生還したベラ湾夜戦)。9月5日生還した杉浦司令は第4駆逐隊司令駆逐艦を「野分」に変更。第4駆逐隊は2隻(野分舞風になったため、9月15日附で朝潮型駆逐艦6番艦「山雲」が第4駆逐隊編入された。9月19日、第4駆逐隊舞風野分)は空母瑞鳳」を護衛してブラウン環礁(エニウェトク環礁)に進出しアメリカ軍機動部隊出現備えた。しかしアメリカ軍機動部隊直接交戦する事はなかった。10月22日ラバウル方面への輸送作戦中に輸送船栗田丸」が撃沈された。2隻(野分舞風)は生存者救助した11月17日、第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐から磯久研磨大佐交代した杉浦大佐12月1日より妙高型重巡洋艦4番艦「羽黒艦長となり、同艦沈没時に戦死ペナン沖海戦)。一方、磯久大佐は、駆逐艦長月・磯風駆逐艦長務めた経歴持っている12月11日、第4駆逐隊舞風野分)は第三戦隊(金剛榛名)を護衛してトラック出港16日午前10時佐世保到着した。2隻はただちに横須賀回航され、18日以降横須賀待機した12月22日、磯久司令司令駆逐艦を「舞風」に変更。第4駆逐隊次の任務は、高雄型重巡洋艦2番艦「愛宕」の護衛任務であった1944年昭和19年1月4日、3隻(愛宕舞風野分)は横須賀出港9日トラック泊地着いた1月15日附で第4駆逐隊舞風野分)は南東方面部隊編入されラバウル方面輸送任務従事した2月12日、2隻はトラック泊地帰投第十戦隊所属の第17駆逐隊浜風谷風浦風磯風)は「舞風」と入れ違いトラック泊地去っていた。15日、第4駆逐隊3番艦「山雲」は輸送船浅香丸」を護衛してトラック泊地出発した2月16日深夜本土修理のためトラック泊地出港した軽巡洋艦阿賀野」が米潜水艦雷撃沈没阿賀野救援向かった軽巡洋艦那珂」も空襲により撃沈された。トラック泊地有力なアメリカ軍機動部隊接近しつつあり、米潜水艦その先であった

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太平洋戦争中盤の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 17:19 UTC 版)

浜風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争中盤の戦い」の解説

6月16日第三戦隊(金剛榛名)、第七戦隊鈴谷熊野)、第二航空戦隊龍鳳)、第16駆逐隊雪風」、第17駆逐隊各艦、秋月型新月」等と横須賀出港しトラック進出した6月22日第十四戦隊旗艦/那珂五十鈴)、駆逐艦2隻(浜風谷風)は第一次輸送部隊(横二特)としてナウル向かった25日ナウル着後の「浜風」は第一次輸送部隊から分離され26日着の第二次輸送部隊長良雪風)と合流しトラック戻った以降、「雪風」と「浜風」は外南洋部隊編入され、ふたたびソロモン方面戦闘輸送作戦参加する7月5日クラ湾夜戦では輸送隊望月三日月浜風)として参加した。本海戦旗艦新月」が沈没秋山輝男三水司令官下司令部は全滅した7月12-13日のコロンバンガラ島沖海戦では、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将旗艦神通」)指揮下の警戒隊(先頭より三日月神通雪風浜風、清波、夕暮)として参加、米艦隊撃退し輸送作戦成功した軽巡洋艦神通」が沈没伊崎司令官下二水戦司令部全滅した7月17日第七戦隊司令官西村祥治少将旗艦熊野」)指揮下の夜戦部隊(主隊《熊野鈴谷鳥海》・水雷戦隊川内雪風浜風、清波、夕暮》・輸送隊三日月水無月松風》)としてコロンバンガラ島進出するが米艦隊出現せず、夜間空襲により重巡洋艦熊野損傷駆逐艦夕暮」と「清波」沈没という被害受けた7月23日、「雪風」、「三日月」、「浜風」はコロンバンガラ島への輸送作戦参加米軍魚雷艇撃退して揚陸をほぼ終えた詳細は「第一次ベララベラ海戦」を参照 8月17日第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将旗艦「漣」)指揮下の夜戦部隊(漣、時雨浜風磯風と共に第一次ベララベラ海戦参加した。この海戦での損害軽微だったが、米軍駆逐艦4隻にも損害はなく、輸送作戦上手くいかなかった。8月22日より、駆逐艦時雨」、「浜風」、「磯風」、「漣」は第七聯合特別陸戦隊サンタイサベル島のレカタ撤退及びブイン転進作戦E作戦」)に従事するが、米軍機妨害により一時中止8月25日からの第2次作戦では、陽動部隊川内、漣、松風)の支援を受け、駆逐艦浜風」、「磯風」、「時雨」で輸送作戦再開、レカタ到着陸戦隊収容成功する帰路米軍陸上爆撃機断続的な空襲受けて浜風」は損傷最大発揮速力18ノットとなる。ラバウル帰着後、「浜風」は「時雨磯風」と別れ日本本土へ回航された。9月21日に呉に帰港10月20日まで呉工廠修理する11月3日長浜出港し以降トラック方面護衛従事した12月21日、米潜水艦スケート」に撃沈された輸送船「照川丸」救援のため、軽巡洋艦能代」、駆逐艦浜風」、「電」、「響」でトラック出発し、「満潮」等と合流して「照川丸」生存者救助した

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