戦争責任に関する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:47 UTC 版)
「アッツ島玉砕」の記事における「戦争責任に関する見解」の解説
司修は、藤田の『アッツ島玉砕』『サイパン島同胞臣節を全うす』は異彩を放っており、みごとな才能であると認めながら、絵を通じて敵愾心をあおり戦意の高揚をもくろんだ点は、他の戦争画と同様であると指摘している。徐京植は『アッツ島玉砕』を描いた藤田は、嬉々として地獄絵図を描いた「絵描きオタク」であり、職人的技量は認められるものの、一流の芸術とは言えないとした上で、「絵描きオタク」の戦争責任を明確にすべきであると主張している。 一方、現実問題としてほとんど全ての画家は戦時中は戦争画制作に手を染めており、少なくとも戦後、藤田に戦争責任問題の批判が集中したのは不公平であるとの意見があり、針生一郎は前述の内面性の無さと嗜虐性についての指摘の後に、戦後、藤田に代表される戦争画家の「荒廃した内面」を直視した上での再出発をしようとせず、機械的に藤田の戦時中の言動を指弾して戦争画をタブーに押し込め、臭いものに蓋をするかの如く自己改革の道を閉ざしたと指摘している。
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