戦争玩具追放運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:12 UTC 版)
これに対して、婦人団体や日本教職員組合によって、戦争玩具を駆逐しようという運動が展開された。1951年(昭和26年)、関西主婦連合会が運動を起こし、戦争玩具排斥の風潮は全国に波及、玩具製造会社に対して戦争玩具販売の停止を要望したり、集会を行い戦争玩具の焼却を行ったりした。この追放運動に対し、戦争玩具を主要に生産していた東京の玩具業者は「玩具のみを駆逐しても問題の解決にはならない。玩具そのものは平和を蹂躙しない」と反発、戦争玩具廃絶を企図する団体との間で、激しく抗争した。この問題は社会に玩具に対する関心を惹起し、玩具史に大きな痕跡を残した。また、論争した両方の間に、玩具の向上を真摯に検討する機会を提供したとして、収穫は大きかったという。
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