ビアク来攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:51 UTC 版)
詳細は「ビアク島の戦い」を参照 1944年2月にアメリカ軍はラバウルから北西に位置するアドミラルティ諸島、マヌス島を攻略し、同年4月22日にはホーランジア、アイタペに上陸、占領した。続いてアメリカ軍はマリアナ諸島攻略支援のためニューギニア西部のビアク島攻略を決めた。ビアク島はパラオから約1,000キロ、ダバオから約1,500キロに位置し、日本軍が設営した飛行場があった。アメリカ軍はまず、ワクデ島を攻略し、そこの飛行場を利用してビアク島を攻略することとし、1944年5月18日にワクデ島に上陸した。日本軍の守備隊は約500名であり、19日には島は占領された。 日本軍も竹輸送によりビアク島の戦力の増強を図ったが、4月末から5月初めに竹一船団が壊滅し、失敗に終わった。 詳細は「竹一船団」を参照 5月27日、アメリカ軍はビアク島へ上陸を開始。上陸時点で日本側が把握した偵察情報は下記の通り。上陸兵力:1個師団敵艦隊兵力:戦艦2、空母2、巡洋艦4、駆逐艦14、輸送船8、小型艦艇数10遊弋地点:ボスネック湾沖合。 なお実際にはビアク島方面にいたのは重巡「オーストラリア」と軽巡洋艦3隻、駆逐艦14隻からなる艦隊のみであり、戦艦・空母はおらず、誤認であった。連合国艦隊の編成は以下の通り。 連合国第74任務部隊前衛:駆逐艦「フレッチャー」、「ラドフォード」、「ジェンキンス」、「ラ・ヴァレット」、「ハッチンズ」、「デイリー」、「ビール」、「バーチ」 本隊:重巡「オーストラリア(HMAS)」、軽巡「ボイシ」、「フェニックス」、「ナッシュビル」、 後衛:駆逐艦「アブナー・リード」、「アムメン」、「ムレニー」、「トラセン」、「アランタ(HMAS)」、「ワラムンガ(HMAS)」 第74任務部隊は「マッカーサーの海軍」と呼ばれたアメリカ海軍第7艦隊(司令官:トーマス・C・キンケイド)の所属であったが、第74任務部隊の指揮はオーストラリア海軍(HMAS)の重巡洋艦「オーストラリア」に座乗したイギリス海軍のヴィクター・クラッチレー(英語版)少将が執っていた。 ビアク島の日本軍の守備隊は歩兵1個連隊基幹の約12,000名であった。
※この「ビアク来攻」の解説は、「渾作戦」の解説の一部です。
「ビアク来攻」を含む「渾作戦」の記事については、「渾作戦」の概要を参照ください。
- ビアク来攻のページへのリンク