池田浚吉とは? わかりやすく解説

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池田浚吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 07:47 UTC 版)

池田 浚吉
生誕 1893年2月20日
日本 福岡県
死没 (1948-03-02) 1948年3月2日(55歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1914年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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池田 浚吉(いけだ しゅんきち、1893年明治26年)2月20日[1] - 1948年昭和23年)3月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]

経歴

1893年(明治26年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第37期卒業[1]1936年(昭和11年)8月に陸軍省兵務局課員となり[2]1937年(昭和12年)11月1日陸軍砲兵大佐進級と同時に野戦重砲兵第5連隊長に就任[2]1939年(昭和14年)1月に第7師団参謀長を経て[2]1940年(昭和15年)4月に陸軍野戦砲兵学校教官となった[2]

同年8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍野戦砲兵学校幹事に着任[1][2]1941年(昭和16年)4月10日砲兵監部附となり[1]8月12日東部軍砲兵隊長を経て[1]1942年(昭和17年)3月2日に陸軍野戦砲兵学校長に転じ[1]1943年(昭和18年)10月29日に陸軍中将に進級[2]1944年(昭和19年)3月4日第35師団長(第2方面軍第2軍)に親補され[1]ニューギニア戦線に出征[1]フォーゲルコップ半島サンサポールで連合軍に執拗な攻撃を行い[1]、敢闘した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 53頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 352頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」36頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



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