実戦と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/17 12:24 UTC 版)
アメリカ海軍のシービーと比較され、しばしば能力不足が指摘される。特に、当時の日本の土木作業は機械化が遅れていたことをそのまま反映し、機械化の遅れが目立った。ウェーク島の戦いなどで鹵獲したブルドーザーなどの配備が行われ、国産化の努力も進められたが、他の車両製造と競合して生産は十分ではなかった。性能でも国産品は劣っていた。おまけに、海上輸送力の不足から機械類の携行が制限される場合もあった。また、作業機械そのものの配備はある程度された場合でも、熟練した運転手がいないために、効率的な運用が難しい面もあった。 それでも、1943年頃には一定の機械化が達成されている。1943年末に編成の甲編制部隊の場合、ブルドーザーやスクレイパー十数両、ロードローラー数両などの建設重機を装備していた。千葉県内で大規模な実験も行われ、鉄板や鉄網を用いた滑走路の急速設営の研究がされた。これらの成果を生かし、ニューギニアのワクデ島の第103設営隊の場合、上陸後25日間で飛行場を建設し航空隊の進出に成功している。1944年2月のハルマヘラ島の第224設営隊のように、着工後およそ20日間で戦闘機の発着に成功した記録もある。 なお、設営隊は戦闘部隊ではなく、自衛用のわずかな小火器しか持たなかったが、ガダルカナル島の戦いをはじめ各地で地上戦への加入を余儀なくされた。戦史に「陸戦隊」「海軍部隊」として登場する中には、しばしばこうした設営隊を戦闘任務にあてたものも含まれる。発破作業用の爆薬や竹槍などを武器に戦い、多大な犠牲を出した。ビアク島の戦いや硫黄島の戦いなどのように全滅した例もあり、1944年以降のみでも14隊に上る。
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実戦と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 20:28 UTC 版)
日中戦争中のものなど人力主体で小規模な初期の編制では、そもそもあまり高い能力は期待できなかった。 機械化設定隊も、期待されたほどの成果は上げられなかった。例えば、最初の機械化部隊である第11野戦飛行場設定隊は、ラバウルの飛行場増設に投入されたが、共同作業をした歩兵1500人による人力作業の方が効果的だったと評された。伐開機は椰子林には歯が立たず、同じく伐採作業に投入された現地所在の戦車ともども、目立った働きは無かった。その他の部隊も、程度の差はあるものの、一般に不調だった。 機械化設定隊が効果的でなかった主たる原因としては、装備した建設機械の性能不足と信頼性の低さが挙げられる。戦前の日本では、雇用対策のために土木作業の機械化はあえて回避されてきたため、建設機械の製造・運用経験が乏しかった。鹵獲機材などをあわてて模倣しても、材質の悪さや熱帯の過酷な気候も重なって、故障が頻発することになった。熟練した操作員がいないことも、無理な運用で故障を増やすことにつながった。
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