実戦への参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:32 UTC 版)
ギリシャ空軍は、バルカン戦争、第一次世界大戦、希土戦争、第二次世界大戦に参加した。また、度重なる内戦やクーデターでも一定の影響力を持った。 当初は陸軍航空隊と海軍航空隊は別個に存在していたが、1930年に航空省が発足するとその管轄下におかれる空軍に統合され、陸・海軍に続くギリシャ第3の軍隊となった。1931年には、空軍アカデミーであるイカロン学校が開校した。 戦間期における機材は、初期にはスパッド S.VIIのような第一次世界大戦期の航空機、中期以降はポーランド製のP.24やフランス製のMB.151、ドイツ製のDo 22などが運用された。 第二次世界大戦初期の1940年には侵攻したイタリア軍を首尾よく撃退したが、翌1941年4月にはナチス・ドイツ軍によってギリシャ空軍は壊滅した。空軍は中東方面でイギリス空軍の1飛行隊として再建され、スピットファイアやハリケーン、ボルティモアを運用した。 1944年にはイギリス軍が上陸し、ギリシャはドイツ軍を撃退した。しかし、ギリシャ国内は各派が争って混乱を極め、そのままギリシャ内戦に突入した。
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